「e-konの道をゆく」掲示板

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林道や廃村についての情報や感想、
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はじめまして - take

2018/08/15 (Wed) 14:44:36

八つ墓村について検索していて、こちら「道をゆく」のサイトに参りました。
誰かの故郷であり生活が繰り広げられた、懐かしさに溢れているはずの場所が廃れていく事実を、廃村のように荒廃していくにしろ、都会のように変化していくにしろ、永遠にはない人や生活の流れがあるということを、しきりに考えています。日頃から、漠然と分かってはいても、それを現実の写真に見ると心が揺さぶられます。サイト内には、お考えや想いが、私には書けない文章で同感以上のものとして言い表され、読むこと以外出来ませんでした。
私にも思い出深い場所や風景があります。しかし、その場所も変貌していくはずで、ずっと何代も先の人や、逆に前の人は同じ場所にいても感慨もない気がします。私自身を知っている人もやがて当然いなくなる。そう思いながら思い出を大切に思う心は変わらず、それを繰り返すのも人、そうするのが人である気もします。このサイトを拝見し、思い出や無くなっていくものに対し、どう対峙したらよいか、私なりに整理が出来そうな気がしています。越波の物語も読みました。楽しい思い出が、楽しい今につながれば良いなと思います。私は廃村を前にしたら、あまりの寂しさで、写真を撮ることが出来ないように思います。このように廃村をその風土や歴史を交え見せていただき、ありがとうございます。(山口県在住、52歳)

Re: はじめまして - e-kon(管理人)

2018/08/16 (Thu) 12:13:20

はじめまして、take様。
書き込みいただき、ありがとうございます。ご覧になられて、そのように感じられたことを大変嬉しく思っています。また、拝見させていただいて、いろいろなことを感じております。

集落の歴史はその場所の歴史ということだけではなく、そこにあった人たちや生活の流れの歴史ともいえるんですね。連綿と続いてきた歴史の中で、生きるために必要な多くのものが受け継がれたり、また、ご先祖様を敬うことで一族の血を大切にしてきたりなど、時代時代の中で人や生活が絡み合いながら集落の歴史は作られてきた。ところが時代が変わり、その場所を離れざるを得なくなると、生活の流れの歴史はそこで途絶え、新たな場所で新たな生活が始まる。当初は旧地を大切にしていても、やがて代が変わるとそれも薄まり、寺社や墓地なども移されてゆく。かつての故郷の地は次第に人の痕跡を薄め、そこでの歴史も遂には消えてしまう。
私がこういった地を訪れ始めて、もうだいぶ年数がたちますが、最近は、代が変わった新しい人たちがかつて先祖の生活のあった地をどのように感じておられるのだろうか、そのことをよく考えます。

こういった所を数多く訪れて集落の歴史を調べたりしていると、それは国の歴史を振り返っていることにもなっている、など感じています。なぜその集落が滅ばざるをえなかったのか、そこからは多くのものが見えるように思います。時代とともに消えていかざるを得ないもの、消してはならないもの等々様々なものを感じます。

平成30年7月豪雨 - kotaro

2018/07/17 (Tue) 00:31:57

こんばんは。
七夕の三日間の豪雨から一週間が過ぎて西日本は、大変な被害に打ちのめされた被災地の、その後の状況に今も言葉を失う状況です。
管理人さまのお住まいの地区は、どうだったですか。
私の住む北摂は、奥の方で国道や、あちこちが不通になっているらしいのですが、岡山や広島、愛媛県の惨状をニュースで聞き、出かける気にもなれないというのが現実です。

誰かが、平成の30年間は、まだ終わっていませんが、ずっと災害の連続であったと言っています。
昨年も大きな水害が起きた福岡県と大分県の久大線、日田彦山線の日田方面は、数日前に久大線が1年ぶりに復旧しました。ですが日田彦山線の再開はめどが立っていません。
1年ごとに梅雨期や台風の豪雨で各地は大きな被害が出るようになったのはなぜか。

また平成の30年間は、7年に起きた阪神大震災以来、震度6や7の地震がいつでも発生するようになりました。
火山の噴火で登山中の人間が多数亡くなったり、また忘れられない7年前の3月11日の東日本大震災で、東北沿岸を中心に、2万人の命が消えました。
ここまで書いて来てびっくりするより、平気になってしまった感覚に驚きます。

昭和20年の敗戦後の10数年間は、大型台風の被害で伊勢湾台風まで教訓を残すような災害が続きました。それは戦時中の物資不足で、山の木を切り過ぎたことで、川があふれたといいます。
今はそれから70年が過ぎて、高齢化した地域社会のアキレス腱が、露呈しているのだろうか。

私は個人的には、そういった土木などの予算が、反戦論者でないので、軍事費に行ったとは思いたくないのですが、高齢者中心の社会保障費に消えていないか。そんなことも類推しました。

いずれにしても地震は今の段階では予測不可能ですが、水害の被害は食い止めるために、何らかの努力が必要ではないか。
広島市周辺では、都市の顕著な人口増と集中で、家を建てるのに向かない造成が、35年間に進みました。
母の故郷だったので半世紀以上通った懐かしい場所ですが、可部線や芸備線の周辺、また昔は田舎だった瀬野周辺も、家だらけになりました。
今回の被害の大きかった地区は、みな山あいに35年くらいの間に造成されたエリアのように考えられます。

長文になりましたが、今一度、このサイトを見ながら考えたのは、数世紀遡って、人の住む土地を真剣に考えたり、集中し過ぎな大都会の人口を分散させる政治を考える、大きな転換の時代に立っているような気がしました。平成が終わる今だから、考えていきたいと思います。


Re: 平成30年7月豪雨 - e-kon(管理人)

2018/07/19 (Thu) 20:16:09

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

こちらは幸い大雨による被害はありませんでしたが、「何十年に一度の」や「観測史上初の」ということばが珍しいと感じなくなるような最近の異常気象ぶりを思うと、これから何が起こっても不思議ではないのかもしれませんね。竜巻被害が日本で起こるなんてことも、一昔前にはありませんでしたし・・。今までの常識では考えられない自然の暴れっぷりを見ると、大きな災害が普通に起こってしまう時代になってきたということなのでしょうか。

テレビなどで被災地の映像を見ていますと、さほど急でもなく、高くもないような山から土石流が発生しているのが気になります。そしてその大きくえぐれた山肌に多く見られるのが、植林された杉や檜などの針葉樹。もちろん調査したわけではなく、統計などをとって調べているわけではありません。それらが目につくのは日本の山の多くが針葉樹の植林がされているからかもしれません。ただよく知られているように、そういった杉や檜は根が浅く、大量の水を含んだ時に大変脆く、弱い山肌を作ります。そこに、これまでとは姿を変えた自然が襲いかかる。大量の水を貯められない山の下に、これもまた造成で盛られた地面に建ち並ぶ住宅。大雨に大変弱い環境の中で、たくさんの人々の生活があるということになります。それまでは大丈夫だったという基準、それを平気で上回る自然の変化が起きているということは、我々もこれまでの認識を変えていかなければならないのでしょう。

昭和の30〜40年頃を境に、日本の山は大きく変わってゆきました。薪炭生産で食べていけなくなった林業が将来のためにと、広葉樹にかわって杉檜などの針葉樹をどんどん植林していきました。ところが安価な輸入木材が入ってくることでその夢は儚く消え、今や木を切れば切るほど赤字になるというほど国内の林業はどんどん衰退し、手入れのされなくなった山々も全国各地で普通に見られます。山から人が去り、山は荒れ、そういった山は川を変え、海までも変えてしまう。それに加え、自然の変化に大変弱い環境を作り、そこに生活する人たちを脅かすことにもなってしまった。

人々が生きていけない危険な山、自然界を変えてしまう山へと変貌させてしまったのは、林業を営んでいた個人ではなく、そういう舵取りをしてきた国の失敗によるものです。「植林されてきたこういった針葉樹が枯れてゆくのがあと〜十年。そうすれば山は自然に変わってゆく」などということばを聞いたことがあります。行政も手がつけられない、そういう状態を表すなんとも虚しい言葉と感じました。
日本は大半が山の国です。もっと山を大切に育てようという発想はないのでしょうか。そこで多くの人々が仕事をし、多くの生活があったことを忘れてはいけないと思います。

など、いつも同じようなことばかり書いてしまっていますね。

こうして掲示板に書き込みをしていただいたり、更新をしていなくてもサイトを覗きにきていただいたりなど、応援いただいている方々には、心より感謝しております。ありがとうございます。

田舎の家 - kotaro

2018/06/06 (Wed) 16:25:14

こんにちは。
今日から関西も梅雨に入ったらしいです。
時々Facebookの方では失礼いたしています。
3月以来の書き込みをします。
何のことを書こうというテーマも最近はありません。
いよいよ田舎の家が駄目になり、賃貸に出していたことが限界になりました。
父の最後の遺産も、亡くなって24年が経ち、10年近く人に貸したりしていましたが、終わりが来たようです。
私も良い年になってきました。1年と1ヶ月で還暦を迎えます。
先月から違う仕事を始めたり、その間の収入の少なさ等で、非常に苦しい昨今です。
50才で会社を辞めてから、いろいろなことに取り組みました。
社会的な活動もやってきました。その縁が出来て、きょうも6時から夜学の校長みたいな
仕事に向かいます。
希望とか、野心は元々無いのですが、いろんなことを考えて来て、この齢まで生きてきました。
気がつけば、親の元で暮らした日々の親族はいなくなり、
こちらで所帯を構えた時の家族も、皆んな出て行き、一人で暮らすことにやや疲れております。
60から先は、九州に戻れるか判りませんが、また明るい気持ちの話題が書けるように、頑張ってみましょう。
失礼いたします。


Re: 田舎の家 - e-kon(管理人)

2018/06/07 (Thu) 23:01:02

こんばんは、kotaro さま
facebook、いつも拝見させていただいております。

私たちの世代は、60年代、70年代という、非常に変化のある面白い時代を生きてきました。ただ自分の場合は、その時代を生きてきたというのに、せっかくの資産が何もなく、逆に今になってその頃を想像しながら振り返るということをしております。一方kotaroさんは、その頃の資産(写真)多く残し、またファインダーを通して見、消化してきてこられたという、何物にも変えがたい財産をお持ちだと感じています。そして、それらの資産を今も生かしながら動かれているのは素晴らしいことです。人にはそれぞれ、様々な生き方があると思います。自分自身は、人生の逆算で今の自分にできること、年代に応じてそれらのことを考えて動いていきたいなど考えています。

facebookで公開されていた、添付いただいた写真のお宅でのご家族の写真、それを拝見した時、なんとも言えない感動を感じました。時代を感じるとともに、その頃の家族愛と、それが過去のものとなっていることの寂しさを自分に置き換えたのだと思います。自分自身、両親が亡くなってもうだいぶとなりますが、そういった子どもの頃の写真を見ようという気が、なかなか起こりません。今回、kotaroさんの写真を通して、間接的に自分のその頃を見たような気がします。

九州のご実家、どうか大事になさってください。故郷のない自分のような人間には、羨ましい限りです。

いつも訳のわからないことばかりお返事してしまい。申し訳ございません。これからもfacebook、楽しみにしております。

我が家の庭のシャガ - 躑躅

2018/04/19 (Thu) 11:53:47

団塊世代の私は、ついに70才になりました。
また、昨年暮れに脊柱管狭窄症の手術を受けました。20年前の頸椎に続いて、今回は腰でした。
痛みは消えたが、歩行が以前より悪くなった様に思えます。

そんなことで、気分が鬱々としています。しかし季節はお構いなく、開放感あふれる春になりました。

写真は、故郷の山から移植した「シャガ」です。ほんの数株持ってきたのが、30年の時間を経て すっかり繁茂しました。

シャガの花には、心に秘めた哀しい記憶があります。
小学生の頃、子のいない親の元に養子に出ていたことがありました。
3才で母を亡くした私は、母親ができると喜んでいたのですが、家族から離されて“独り”になる寂しさを想像できませんでした。

GWが始まる頃、学校の休みを利用して里帰りしました。
故郷の山里は、新緑のすがすがしい季節。山の斜面一面に咲く 薄紫色のシャガの花を見たとき、子ども心に ここが自分の生まれた所だと、強く思いました。

2年目になって、戸籍をそのままに実家で生活することになりました。
しかし結局、父親に迷惑をかけ 養父母を悲しませて、離縁となりました。

子どもの頃の記憶は、いくつになっても消えません。
シャガは、道端・崖・林床・日本庭園・・・いろいろな場所に生えている ありふれた植物ですが、私には特別に思えて、このように庭に植え 花が咲く毎年の春を楽しんでいます。

Re: 我が家の庭のシャガ - e-kon(管理人)

2018/04/20 (Fri) 21:02:47

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

躑躅様にとってのシャガは、幼い頃の切なさ、悲しさ、それと大切なふるさとへの思いの象徴であるのでしょうか。私が、シャガを意識して見るようになったのは、多賀町の芹谷でした。山の斜面一面に咲き誇るシャガを、向かいの山の林道から見た時、「あれ、全部シャガ?」という驚きと感動でいっぱいでした。そして、その映像は今も鮮明に残っています。甲頭倉か屏風か、どちらかの集落に向かう道の斜面だったと思います。それ以降、季節になると道に咲くシャガの風景を見に行ったものです。

多賀町の山間部には、よく足を運んでいます。どの谷からも、それぞれの美しさを感じます。またそれと同時に、今の社会の中で、そこにある村々の今後のたどる道を考えると、何ともいえない切なさや寂しさも感じます。こういうシャガの風景もあるんだなと、お話をうかがって感じました。谷に咲くシャガを見た時には、また違ったシャガを感じられるように思います。

手術を受けられたとのこと。どうか、ご無理をなさらぬよう、1日も早いご快復を願っております。

Re: 我が家の庭のシャガ - 躑躅

2018/04/21 (Sat) 08:32:41

e-kon様 いつも優しいお言葉を頂戴し、ありがとうございます。

山の斜面一面に咲くシャガの花は、誰もが感動するもののようですね。私の場合、それが生まれ育った土地なので、思い入れが強いようです。

廃村・廃墟のブームがあるようです。
訪れた人は、その場所の過去(人々の暮らし、出来事)を想像するのでしょうが、「思い」も想像して欲しいと考えます。
人は暮らしの中で、喜怒哀楽の感情「思い」を持って生活しています。また、その土地を離れた人間が、私のようにいつまでもその「思い」を持ち続けていることも、気付いて欲しい。

今では廃村となった村で生まれ育った人たちが、その思いを語らないまま やがて死に絶えて行きます。
そして、都会生活の“便利・快適”が最高だと信じている人には想像ができない、軸の異なる価値を持った暮らしが忘れ去られるでしょう。

限界集落と呼ばれる村から「離村」という悲しい決断をしなければならない人たちが、現在も沢山います。生きていくためには、それも仕方がないと思うしかありません。

生業が得られない土地で、人は生きていけません。一時 悲しいが、人は慣れるものです。
どこであっても、生きて行けます。そして季節が繰り返します。

Re: 我が家の庭のシャガ - e-kon(管理人)

2018/04/22 (Sun) 04:47:25

おはよいうございます、躑躅 様

今の廃墟・廃村ブームと「思い」のお話、まさにおっしゃられる通りだと思います。テレビ番組でも、面白おかしく過疎地や廃村などが取り上げられていますね。そこには住んでいる人の思いより、どこか上から目線で小馬鹿にする都会人目線で作られているのが不快に感じることも少なくありません。おふざけの探検感覚で行くレポーターの姿は、まるでおバカな動画サイトと同次元に見えて来ます。「許可を得てるからいいじゃないか」というものでもないように思うのですが、ブームとはそんなものなのかもしれませんね。

見せる側は「何を伝えたいのか」、見る側は「何を感じ、何を読み取るのか」など大事だと感じています。

ところで、昨日は多賀町の大杉という集落に行ってまいりました。写真は、その道沿いに咲くシャガの花です。開放で撮影しているので、周囲がボケてしまっていますが、控えめに咲くシャガも美しかったです。このあたりの谷に訪れることはほとんど無かったのですが、行ってみると様々な魅力に満ちており、今後も訪問機会が増えそうです。

Re: 我が家の庭のシャガ - 躑躅

2018/04/22 (Sun) 08:47:42

e-kon様 早速の御返信ありがとうございます。

昨日 大杉へ行かれたとのこと。シャガが写った写真は、その土地の雰囲気が良く感じ取れました。

大杉・・懐かしい、同級生 K・M・Yがいて、子どもの頃よく遊びに行きました。そして、お医者さんに診てもらうためにも。
坂を上ったところに「大杉醫院」があります。医学博士、町議会議長を務めた(50年以上前の話)先生が開業しておられた。
現在は無住になっていますが、そこのモミジの紅葉が素晴らしいようです。(自転車や歩いて行った子どもの頃と違い、あの細い道を車で走るのが恐怖で、出かけたことはありません。)

犬上川南流・北流は、芹谷とは異なり谷がそれなりの広さを持つので、明るくて人の生活が感じられたのでないでしょうか。
これからも訪問していただけるのであれば、ネットの「多賀町史編纂を考える委員会」ブログや「愛しきものたち」大杉集落が参考になると思います。お薦めします。

Re: 我が家の庭のシャガ - e-kon(管理人)

2018/04/24 (Tue) 01:08:13

こんばんは、躑躅 様

大杉にはよく行かれていたんですね。その頃の大杉を、実際の生活の中で感じられていたことを羨ましく思います。今とは違った、子どもたちの活気ある集落だったんでしょうね。あの大杉医院にも診てもらっていたとは・・!あのあたりに病院はなかったので、他の集落からもたくさん診察に来られていた、というお話はうかがっていましたが、躑躅様もその中のお一人だったとは

「多賀町史編纂を考える委員会」のブログもご覧いただいているんですね。ありがとうございます。実はあの記事は私が書いたものです。ご縁あって、数年前より「多賀町史編纂を考える委員会」の委員をさせていただいておりました。写真は、その時の聞き取り調査の数日後に訪れた、大杉医院あたりの写真です。あちらも、あまり更新できておりませんが、これからも、よろしくお願いします

遅い春 - kotaro

2018/03/16 (Fri) 08:06:05

3月雨の朝になりました。
この冬は、11月中頃から急に冷え始めて、12月、1月、2月と寒さの緩むときがなく、本当に寒い季節が続きました。
最近、今週あたりより野菜の値段がやっと安くなり、田畑の影響が終わって、農家も春になったと感じます。
国外はアメリカと北朝鮮の外交が成立しそうな勢い。一部の事情通が言っていたように、北の3代目はブラフで絶妙な均衡外交をとり、現状肯定型の韓国の大統領を使い、冬季オリンピック舞台にあっと驚く離れ業を演じてみせました。
日本は圧力外交に加担して見せている裏で、秘策があったのかもしれませんが、1年前よりの業病だった、森友・加計学園問題がここにきて弾けてしまい、全く国際社会に存在を示すことまで手が回りません。
沖縄の基地問題も、また後戻りに帰りそうです。

全体的に見ればこの5年間は、株価好調で、企業中心に経済は順調だった方です。しかし予測を越える高齢化社会と人口減の進行で、世間は暗くなる一方。
働け働けと言われるのは男性を通り越し女性にまで。それも予備軍レベルまで言われるものですから、「保育所落ちたらおしまい」みたいな絶望感に包まれる。
次は高齢者に働けが回ってきました。
いろんなこと、全体を見渡せる人が、社会に不在で、いつまでも税収頼りの社会基盤の維持はできなくなるのは必定だと思います。
そんな世相の隅で、土曜日には久しぶりに山歩きに行ってきます。

Re: 遅い春 - e-kon(管理人)

2018/03/17 (Sat) 20:38:42

こんばんは、kotaro様
いつも、ありがとうございます

こちら滋賀県の私のうろうろする地域のこの冬、雪はそれほどではなかったものの、おっしゃられるように随分と寒さが続いたように感じます。毎年この時期は、春の植物や風景などの撮影を楽しみにしているのですが、それも、ここ少しの間でいっきに春が進んでタイミングを逃してしまいました。写真は、なんとか開花のタイミングに、たまたまかするように出合うことのできた、滋賀県多賀町の芹谷地区の集落「桃原(もばら)」の福寿草です。

ところで先日、日本のリーダーたる総理大臣の歴代の人たちの顔ぶれを、ネットで何気なく見ていたのですが、一族というか、血縁関係でのつながりのある人たちがずいぶん多いんですね。こういった人たちは一般庶民の生活とはほとんど縁のない暮らしをしてきた、エリートと呼ばれる人たち。そのことを思うと、わが国のビジョンを明確に示すことなく、定年や年金受け取り年齢をどんどん上げていこうとしてることに、妙に納得できてしまいます。何を見ているのか、どこを見ているのかを決めるのは、その人これまで生きてきた道、生き様が大きく影響することでしょう。

何に使われるかわからない税金。たとえ税率が20%や30%になっても、それが一般の人たちの生活が豊かになり、生活への不安を軽減するためのものであれば、多くの人は納得するはずです。逆にそれを納得しない人たちはどんな人たちなのか、ということを考えると、今の日本が見えてくるようにも感じます。など、いつもわけのわからないことを書いていますが、最近の自分は開き直りながら、できるだけ謙虚に生きたいなど思っています。

前にも少し書いたのですが、kotaro様は自らのドキュメンタリーを日々残されています。多数の支持を受けられているのは、そのあたりも1つあるのかな・・など感じています。これからも楽しみにしております。

Re: 遅い春 - kotaro

2018/03/19 (Mon) 10:54:07

おはようございます。ドキュメンタリというより、等身大のメディアを自分でつくり、人の反応を見て遊んでいるだけです。
ここに至るまでに、しんどい時期があり、何を言っても人の心に届かないこと。それは母の介護で亡くなっていった姉とのやりとりとか、会話では心の壁を越えられない経験もしています。
写真と文章で、効果以上の反応があると喜んでいます。
今朝はTOP画像の昔のヤツを眺めさせてもらっていました。人が生きて暮らしがあり、そこに道が作られた時代。それを末代あとの我々が見て思うことや考えたり。
今、都市の風景、住宅街。共に新陳代謝が激しく、木造アパートや住宅が取り壊されて、表情の薄い(浅い)建築に変わっていくのが、また急になりました。
こういう時間に私たちは何を見届けるのか。
e-kon様の、次のフィールド活動が見たいと、私はゆっくり願っております。

Re: 遅い春 - e-kon(管理人)

2018/03/22 (Thu) 19:12:30

こんばんは、kotaro 様

なるほど、とお話をうかがい納得しながら、どこか冷めた部分がないとこのような表現手段はなかなかできないなあ、などとも感じています。kotaro様とは、ほぼ同年代の自分ですが、表現に関しては堅苦しいものしか受け入れられず、その柔軟な発想や表現手段などは羨ましい限りです。長年の記者として表現されることを終えた後の現在の展開、これからの展開など、どうなっていかれるのか楽しみにしております。

最近、古道に関わっての調査(大げさなものではありませんが)を少ししていました。昔の道は大変わかりやすいです。目的に向かって進み、踏まれたところが道になる、一番近いルートであれば、当たり前のように危険な谷へも降りるし、急坂をまっすぐに上がったりもする。それは身軽である人間が通るものであるから。また、今のように地図なんて便利なものがかなかったから。今の道はそうはいきません。複雑です。古道の痕跡は、山間部であれば結構残されているものですが、苔むした石垣を見つめて喜ぶ姿は、あまり人には見せられない不気味な姿なのかもしれません。

>e-kon様の、次のフィールド活動が見たいと、私はゆっくり願っております。
ありがとうございます。ちょっと頭が堅くなりすぎているところを何とかせねばと思っていますが、これからも続けていきたいと思っております。変わりばえのしないものでありますが、よろしくお願いします。

おそくなりましたが、あけましておめでとうございます - 桑名の星の

2018/01/15 (Mon) 20:15:35

おそくなりましたが、あけましておめでとうございます。

去年は山の中を訪問するこは叶いませんでした。

今年は周りにインパクトを与えず静かにおじゃましたいですね。
管理人様もお身体に気を付けての活動期待しております。

では。

Re: おそくなりましたが、あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2018/01/15 (Mon) 21:47:30

桑名の星の 様、あけましておめでとうございます。
ご挨拶をいただき、ありがとうございます。
今年こそ、更新させていただくつもりでおります。

ここのところ、五僧越えの道についていろいろ調べているのですが、その中で、お名前にあります「桑名」のことが出てきて、思わず「桑名の星の」様のことを思い出してしまいました。明治維新直後、桑名藩の襲来に備えて、彦根藩が五僧峠に大砲を並べたそうです。道が狭いため、八重練から五僧まで、大砲を分解して運んだそうですよ。

写真は、その五僧越えの玄関口の八重練集落と杉坂峠です。

今年は山への訪問が実現されるといいですね。
今年もよろしくお願いします。

Re: おそくなりましたが、あけましておめでとうございます - 桑名の星の

2018/01/17 (Wed) 00:25:36

管理人様こんばんは、ありがとうございます。

自分には歴史の部分が欠落してます、残念です。
今年は少しでも学習してからですね・・・。

よろしくお願いします。

Re: おそくなりましたが、あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2018/01/17 (Wed) 21:40:51

いえいえ、歴史も知ると楽しいですが、おまけのようなもので
山中では、風景を見たり山の空気に触れるだけで幸せな気分になっています。

こちらこそ、よろしくお願いします

新年の御挨拶 - お

2018/01/03 (Wed) 11:47:33

新年あけましておめでとうございます

昨年は、夏に機会があって吹屋を訪れたんですが、小学校は大修理中で残念な思いをしました。
秋には、大勘場を通って牛首林道を抜けようと思ったんですが、自分のミスで林道の途中で折り返す羽目になりました。
それでも、どれもこれも良い思い出になりました。
今年も、心を洗ってくれる場所に出かけたいと思っています。

今年一年も管理人さんにとって良い年でありますように

本年もどうぞよろしくお願いいたします

Re: 新年の御挨拶 - e-kon(管理人)

2018/01/03 (Wed) 13:34:44

新年、明けましておめでとうございます
丁寧なご挨拶をいただき、ありがとうございました。

牛首林道方面にも行かれていたんですね。あの林道から谷へ降りた所にあった牛首集落は、長年思い続けながら未だ行けていない所です。遠方の遠征は、タイミングなど運に左右されることが多いですね。いつかは訪れてみたい牛首谷です。

写真は多賀町の大岡あたりから見た杉坂峠です。かつての五僧越え道は、八重練からの急斜面を登ってなだらかな尾根道へ出て、杉坂峠まで続いていました。

ながらく滞っていますサイトの更新、今年はなんとかできそうです。
どうか、よろしくお願いいたします。
お様にとっても、今年が良い年になられることを願っております。

鉄路の記憶 #2 - 躑躅

2017/11/26 (Sun) 17:37:58

タウシュベツ川橋梁の映像を堪能しました。
残念なことに、コンクリートの崩壊が始まったとのことです。
日本中を探しても どこにもない風景をつくる貴重な遺構。この放送から 保存運動が始まって欲しいと期待します。

国鉄士幌線、多分 私はおよそ半世紀前に乗っていると思います。北海道均一周遊券を使って糠平へ行った記憶があります。
そのころ北海道は活気がありました。番組のナレーションにあったように、つらい肉体労働、零下20度の冬にも、リアルな暮らしがあった(経験のない私が言うのも何ですが・・)。

現代の、エアコンが効いた部屋で パソコンをクリックして稼ぐ バーチャルな生活と、全く異質な暮らしでしょう。
過ぎ去った時に、どちらの暮らしが記憶に残るか。残された遺構が リアルに語ってくれるでしょう。

タウシュベツ川橋梁は、現地の石を使ってコンクリートにした。橋が崩壊したら、その石が元に還る 自然のサイクルだ、と達観した考えを持つ人がいますが、私は そうは思いません。
遺構が残れば、その橋の建設に関わった人や その橋を利用した人に、思いを馳せることができます。
人がつくってきた「歴史」をおろそかにしてはいけないと考えます。

Re: 鉄路の記憶 #2 - e-kon(管理人)

2017/11/27 (Mon) 01:17:38

こんばんは、躑躅 様

教えていただきました放送、録画ですが見せていただきました。今この時期にタウシュベツ橋が取り上げ放送されるのは、この歴史的遺構が何の手立てが施されることなく崩れ去ろうとしていることへの問題提起なのでしょうね。

このように劇的に姿を現す遺構が、人々に与える影響は強烈なものがあるように思います。それだけに、よけいに貴重なものであると感じます。これを目にした時に人々は何を考え、何を思うのか。ビジュアル的な興味で終わる場合もあれば、そこにある背景に興味・関心を持つ場合もあるでしょう。その背景を見ることで様々な歴史を知ることになり、それは現代や未来を考えていく上で大切なことが多く含まれていると思います。もちろん北海道独特の黒歴史もそこには含まれています。
歴史を語り伝える貴重なもの、今後も残していってほしいものです。

ところが現実には、こういったことに金をかけるのはなかなか難しいようです。「目の前にある問題に取り組んでいかなければならない時に、昔のそんなものに金をかけられるか」というのが、財政難に喘ぐ地方行政の実態なのだと思います。そこから何を見るのかなどという視点はなく、歴史を振り返ることの意味と、「昔は良かったなぁ」的なことを混同してしまい、肝心なことを見ることができていない、そのように感じます。

タウシュベツ橋にはもう時間が残されていない、そのことも強く感じました。

鉄路の記憶 - 躑躅

2017/11/22 (Wed) 20:41:33

こんばんわ e-kon様

耳寄りな情報です。次の土曜(11月25日)旧国鉄士幌線跡をめぐる旅がTVで放送されます。
それも、4K高精細カメラで撮影した驚きの色彩「ニッポン印象派」。
予告編にいきなりタウシュベツ川橋梁が出てきて、もう感激しました。
NHK・BSプレミアム(3ch)夜11時から30分間です。
ご覧ください。

ところで、スバル・フォレスターの調子は如何ですか。
私は、現在乗っているカローラが10年になるので、次の車を考え、安全装備が充実の「スバル車」を検討しています。

10年前 退職金でカローラを買った時には、70才になったら運転をやめようと決めていたのですが・・・。
意外に元気な年寄で暮らせています。パートの仕事もこなしています。

Re: 鉄路の記憶 - e-kon(管理人)

2017/11/23 (Thu) 11:18:28

おはようございます、躑躅 様

そうなんですね!存じておりませんでした。
早速、予約をさせていただきました。

3度の北海道の旅であちこちまわりましたが、その中でもこのあたりは一番好きな所で、滞在も一番長かったと思います。本当に素晴らしい所です。
貴重な情報、ありがとうございました。

ところでフォレスターなのですが、実は現在はもう乗っておりません。走破性は素晴らしく、その割に燃費も悪くないし、乗りごこちや運転のしやすさも申し分なし、唯一不満があるとしたら車中泊時の室内高くらいだったのですが、諸事情で車庫スペースが必要となり、現在は小さな可愛らしい車へと変わってしまいました。
各社から自動ブレーキの車が出ていますが、アイサイトは秀逸の出来で、高速での自動追従も素晴らしいものでした。でも、高速での自動追従を必要とされないのでしたら、他車の安全装備も優れてきているようですので、そちらを検討されてもいいのかもしれませんね。
車選び、楽しみですね。ぜひ良きご選択を!

もう探さないでください - 躑躅

2017/11/16 (Thu) 15:03:24

一昨年の夏、「北海道長期滞在の旅」ツァーで中標津町の開陽台へ行きました。
館内のカフェで名物「はちみつソフト」を食べていると、旅行者がメッセージを書き記した付箋紙が たくさん貼ってあることに気づきました。

目の前にある1枚、今しがた書き置いたような生々しい紙に 『もう探さないでください』 とありました。
この言葉の前後に、理由だとか決意が書いてあったと思うが、それよりも、北海道の東の果ての、旅行者が多く訪れるこの場所に、(たとえ戯れであったとしても)この言葉があまりにしっくり来て、思わず笑ってしまいました。
そして、この人には 探してくれる人がいるのだな、と羨ましく思いました。

TVニュースを見ていると、北海道はもうすっかり雪の世界に入っているようです。
旅で出会った人たちは、厳しい寒さを 当然として生活しておられるのでしょう。

地球上には様々な暮らしがあります。
政治に携わる方たちには、その暮らしが守られるよう、寛容な気持ちと使命感を持って 事に当たってもらいたいものです。

Re: もう探さないでください - e-kon(管理人)

2017/11/18 (Sat) 09:55:02

おはようございます、躑躅 様
お返事が遅くなり、申し訳ございませんでした。
慌ただしい日々が続き、PCを開けない日々が続いておりました。
せっかくの紅葉の季節なのに、旅行にも出かけられず
悶々とした毎日です。

ところで標津町の開陽台、いい所ですね。
条件が良ければ、不思議な形の野付半島なども見えることでしょう。
2014年の北海道旅行から3年が過ぎ、その間、新たな情報も得たりして、訪れてみたい所は増えています。この開陽台も行ってみたいですね。

北海道旅行には最果て感を強く感じる所が多々ありますが、その独特の雰囲気の中で「何か書き記しておきたい」という気持ちが湧いてくるのは、わかるような気がします。私は書きませんでしたが、中には胸を打つようなメッセージもありました。「もう探さないでください」というメッセージ、書き主さんを探している方が読まれたら寂しいでしょうね。

北海道、道東・道北の北海道は独特のものがあります。大いに惹かれてしまいます。

写真は、尾岱沼(おだいとう)から見た野付半島と、向こうに見える国後島の羅臼山と泊山です。

「燃える秋」 の北海道へ行ってきました - 躑躅

2017/10/17 (Tue) 20:56:16

e-kon様 無沙汰をいたしております。
掲示板を覗いて驚いています。しばらく滋賀を留守にした間に、多くの書き込みがありました。
また それにご返答なされていることで、e-kon様がお元気な様子がうかがえて、安心いたしました。

私は、10月9日から15日まで北海道ニセコ長期滞在の旅に出ていました。(いつもの阪急交通社のツァーです。北海道は一度訪ねると癖になりますね。)
天候が 時雨が来たりの いま一つでしたが、“燃える秋”の素晴らしい黄葉に出会えました。北の地の広葉樹の黄葉は ふだん体験できないことから、思わず歓声を上げてしまいました。
写真は、登別温泉からニセコへ帰る途中の道路沿いの紅葉です。

どこを廻っても“紅葉の名所”ばかり。ところが ちょっと車を停めて写真を撮りたいと考えても“駐車場所”が用意されていない。行き交う車は60~80㎞の速度で走っているのだから、路上駐車は危険なため、残念と思いながら 行きすぎました。

この時期、6時になると漆黒の闇になります。国道230号線中山峠の道の駅はすでに閉まっていて、その先で(私も加わった)車列の先頭車が鹿をはねてしまいました。
現場を通り過ぎるとき、即死した鹿を見て、これが北海道なんだと、妙な感慨に陥りました。

道南・道央は、寂れた様子が感じられませんでした。中国や韓国からの旅行者が大挙して訪れています。(小樽などは、京都の有名観光地と変わらない程です。)
受け入れのためか、トイレは広くて常にきれい、温泉も清潔そのものでした。

新しい発見は、北海道産の米がおいしいことでした。
米と牛肉は近江。日頃おいしさに慣れていると思っていたのが、北海道の米を食べて、これは負けたと思いました。
蘭越や赤井川の米作地帯を走っていたら、まだ刈り取られていない稲が残っていて、丈が50㎝くらいと低く、穂も少ない、品種改良が進んだもののようでした。(ずいぶん 改良の努力がなされたのでしょう。)

北海道をドライブする爽快は、忘れられません。サロベツ原野、オホーツク海沿岸、それに斜里の“天に続く道”へも一度行ってみたいと思っています。(たぶん無理なので、e-kon様の番外編(車泊の旅)を読み返し、追体験をさせていただきます。)

Re: 「燃える秋」 の北海道へ行ってきました - e-kon(管理人)

2017/10/18 (Wed) 07:16:01

おはようございます、躑躅 様
ご心配いただき、ありがとうございます。体調は悪くないのですが、何かと慌ただしく、更新がおろそかになってしまっています。まだまだ続ける気でおりますので、よろしくお願いします。

北海道に行かれていたのですね。とても羨ましく思います。特にこの季節は美しかったことでしょうね。道南・道央はほとんど通り過ぎるだけだったのですが、そちらも魅力的な所がたくさんあることと思います。北海道の山は、こちらの植林された杉や檜の緑の山とは全く違った山の光景を見ることができ、大変魅力的です。今の時期、紅葉は絶景だったことでしょう。私が訪れていたのもちょうど今頃。この時期なのに、朝方は0度にまで気温が下がり、シュラフに頭まで突っ込んで寝ていたのを思い出します。

北海道の米、残念ながらコンビニ弁当がほとんどでしたので味わうことはできませんでしたが、次回行ける時はもう少し食にも贅沢してみたいと思います。グルメではありませんが、そこでしか味わえない食にはふれてみたいものです。

何かと慌ただしく、長い間旅に出ていませんが、ちまちまと準備だけはしています。旅に出た際は、またブログでも報告させていただきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

写真は2014年のちょうど10月18日に訪れた十勝三殳からの風景です。

ことし - kotaro

2017/10/17 (Tue) 05:15:27

e-kon様こんばんは
少し早いけれど、もう寒さを覚える時期になりましたので、深夜に今年を回顧したりしています。
私は7月で仕事を一旦辞めて、8月に長い旅をしました。今も旅は可能ですが、資金と気力がなく諦めています。
久々の長期旅行は、真夏ゆえ苦しくも面白かったです。発見はこの齢でもあるし、それが学術や著述でなくても、自分自身のためにあるのだと思います。
自分の人生もあと僅かかもしれませんし、10年後も旅をしているかもしれない。
今twitterで、バイクライダーの加曽利隆さんという人が、還暦どころか70歳で日本一周を連日続けて、絶え間なく行動をアップされています。
その行動力に、やはり頭が下がります。一昨日は雨の夜の峠を越えて、東京近郊といっても大変でしょう。夜半に帰宅するシーンは胸を打ちました。
一日と一生、何歳まで生きるか。そんなことを普段考えても仕方ありませんが、生きることは瞬間の連続です。定年前で、もやもやする人生も多いですし、私も還暦2年前でまた足踏み中です。
ただ加曽利さんの行動には勇気をもらえます。そして単純だけど地方の未踏の地へのあこがれ。温泉と食べ物、毎日その繰り返しで旅を続ける意味。旅への誘いももらえます。
それは遥か昔に、道を拓いた旅人への憧れと敬意のように思えました。
今年はもう残り2ヶ月半を切りました。来年への夢も見えませんが、毎日を大切に生きていたいものです。

Re: ことし - e-kon(管理人)

2017/10/18 (Wed) 06:10:16

おはようございます、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。
なんだか冷え込みが激しい今年の秋ですね。

加曽利隆さんのブログを拝見しました。70歳で日本一周されてるんですね。これまでの積み上げがあるとはいえ、衰えずますます湧き上がる気力は見事です。資金に制限がかかってしまうのは仕方ない面がありますが、年齢という数字に制限をかけるかかけないかは自分次第、ということを改めて感じます。
こういった長期旅などをされている方に対し「時間と暇があるからできるんだよなー」的なことばを投げかける人が少なくありませんが、そういう人は同じ条件になったとしても決して行動には移されないでしょう。資金と気力と好奇心はいつまでも失いたくないなど思っていますが、資金はなかなか貯まりません・・

北海道の自然の美しさと、退廃的な美しさ、人の築いた歴史とその残骸のようなものの対比、そこから見えてくる歴史、そして今も生きる人々の思い、それらに惹かれるものを感じ虜になっている自分があります。数年後にはもう一度長期で周って、かつての訪問地の変化など見てみたい、など思いながら日々のもやもやと押し合いへし合いしています。

kotaro様のfacebookはご自身の記録であり、ご自身が主人公の物語でもあるように感じています。これからも楽しみにしております。写真は琵琶湖近く、大中という所の朝の田園風景です。


- お

2017/10/08 (Sun) 20:57:04

管理人さん、こんばんは。
ご無沙汰しておりましたが、おかわりありませてでしょうか。
さっそくですが情報です。
現在、境川ダム湖の水位が下がって、桂集落跡を歩く事が出来ます。
今日、私も初めて桂に足跡を残してきました。
もしお時間があれば、管理人さんもいかがでしょうか。

ブログの方は、時々拝見しに伺うのですが、しばらく更新されておられないようですね。
もしよければ、無理のない範囲で続けていただければ嬉しいです。

Re: 桂 - e-kon(管理人)

2017/10/10 (Tue) 00:09:48

こんばんは、お 様
ご無沙汰しております。

桂集落跡、歩かれたんですね。10年ほど前に加須良、桂のことを集中的に調べ、現地でご出身の方にお話を伺ったこともあり、大変懐かしく感じています。その時もちょうど水位が下がっており、集落跡を少し歩くことができました。それらの取材が諸事情で発表に至っていないのがとても残念なのですが・・。紅葉も美しい所です、久しぶりにぜひとも行ってみたいものです。

最近、桂から加須良への林道が舗装されたとかで気になっています。グーグルマップを見ると舗装され、それが加須良集落からさらに延びているようにも見えます。R156からの廃道の復活??有名な大企業が、以前にもあのあたりの開発を計画していたと聞いたことがありますが、それと関連しているのでしたら大がかりなものになるのかもしれません。気になるところです。

更新の滞っているサイト・ブログですが、落ち着いたらぜひとも更新したいと思っています。これからも、よろしくお願いいたします。

Re: 桂 - お

2017/10/10 (Tue) 08:09:14

おはようございます。
集落跡は谷間の中心部に近いところが徐々に削られてきているように思いました。
ただ、石垣などは健在でした。
加須良への道、確かにグーグルで見ると舗装されていますね。
今回、加須良へも行こうと思っていたんですが、境橋の先で導水路のトンネル工事を行っており、車はオートキャンプ場までしか入れませんでした。徒歩だと橋のところまではいけるのですが…
詳しい工事内容は確認してこなかったのですが、工事が終了したら、加須良には行けるのかなと希望的観測は持って帰ってきました。

Re: 桂 - e-kon(管理人)

2017/10/11 (Wed) 20:14:25

こんばんは、お 様
情報いただき、ありがとうございました。

なにか周辺の環境が大きく変わっていきそうな感じですね。それまでの用途から思うと、この道が舗装されるなんてことは思ってもみませんでした。

以前、加須良集落跡の河原から見た紅葉は、それは見事なものでした。あの美しい風景が変わることはないと思いますが、もう一度秋に訪れて見たいものです。
写真は2012年の秋に訪れた時のものですが、この時はまだ紅葉には早く、残念ながら燃えるような紅葉に出合うことはできませんでした。

10月 - kotaro

2017/10/08 (Sun) 10:56:35

早いもので月も代わって2週目になりました。
私は8月に常勤を辞めて週中のアルバイト暮らしで、次の奮起ができるのか、模索の最中です。
選挙の月になり、もう大所高所で政策を論じる気持ちはありませんが、日本は不安の中で迷いの多い時代が続いています。
旅行後の私は遠出を一切止めて、近場の町歩きに活路を見出しています。ガイド役に近年は優秀な方が現れて、歴史を地層的に掘り下げ比較文化も語り、これまでの高齢者層相手の町歩きから、ちょっとカジュアルな娯楽〜知的暇つぶし、に昇華しつつあると思います。

近江地方のことですが、湖東の歴史が注目されつつあるようです。三成の再評価あたりから始まり、近江平野の多様性と管理人様の得意な山間部。木地師の歴史などにも何度か光が当てられていますが、もう一度研究熱が高まり、来月には竜王町を歩くツアー企画が進んでいます。
このページに時々来ると、北海道の衰退し切った交通と人びとの暮らしとか、無性に書きたくもなりますが、止めておきましょう。

ただ、私の書いている記事には興味を持ってくれる人もおり、先日はカタールから帰国してわざわざ会いにきて下さった鉄道史の好きな方が来られ、驚きましたが光栄に思いました。
大阪に来たのは70年の万博以来だそうです。写真は5年くらい前の瀬戸内の島の風景です。現像は自分でこなしています。

Re: 10月 - e-kon(管理人)

2017/10/09 (Mon) 23:35:41

こんばんは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

早いですね、もう10月です。夏の印象がほとんどなく秋に来てしまった、そんな感じで過ぎてきました。この調子でいくと、今年もあっという間に終わってしまいそうです。何かと慌ただしく、好きな旅行には出かけられていませんが、これも原因を探ると、自分が単に不精なだけ、そのようにも感じています。kotaro様の行動力を見習わなければ・・など感じる次第です。

瀬戸内の島ですか、いいですね。ひたすら山間部や北海道などに興味関心が向かう自分ですが、九州の椎葉村、四国徳島の大歩危小歩危とともに瀬戸内の島々はいつかゆっくりと訪れてみたい所でもあります。現在、滋賀県の多賀町とご縁があって「五僧越え(島津越え)」の道について調べているのですが、これが落ち着いたら好きな旅にも出かけられるかな、など思っています。

竜王町を歩くツアーが企画されているんですね。竜王町は自宅から結構近いのですが、地元も含め近隣の地域の歴史にはなぜか疎く、これまでも調べる機会がほとんどありませんでした。そういえば先日、竜王町の苗村神社という所にいってきました。大変歴史古い神社で、渡来人の天之日槍とゆかりのある神社としても有名です。写真は国宝で有名な西本殿ではない方の、東本宮の東本殿です。

奥出雲の民家 - kotaro

2017/08/13 (Sun) 22:58:45

こんばんは。8月3日の夜から1週間以上の旅行に出ていました。
特に目的は薄く、行った先は、昔訪ねた場所であったり、自身のルーツを訪ねたりでした。
その中で、久しぶりに島根県の奥地で、木次線の亀嵩駅付近を抜けて、安来に到るルートを30年ぶりに走りました。
安来の手前にある広瀬と言う場所も訪ねたかったのですが、比田という場所に行きたかったです。
須藤鐘一という殆ど知られていない昔の作家の本が手元に長くあり、この人の出身地を見たかったからです。
亀嵩から比田、広瀬に至る道は、たたら製鉄の跡がいくつか残っており、広瀬は尼子の月山城で知られますが、中国広範囲を支配したバックは、製鉄技術ではと思いました。
須藤鐘一に関しては、地元でも研究が少なく、私が持つ本は後年、三越宣伝部に勤めていた頃のものです。
写真の民家は、塀はないのですが堀があり鯉が泳ぎ、水辺の花が咲いて見事でした。
いくつかの別棟は何に使われたのか。蔵は奥に建っていました。
こういう独特の建築を見ると、元は何を稼業だったのか気になります。
一瞬で走り抜けた旅でしたが、今は心に残った風景を整理しているところです。
よきお盆をお過ごしください。

Re: 奥出雲の民家 - e-kon(管理人)

2017/08/14 (Mon) 19:24:00

こんばんは、kotaro様
書き込み、ならびに写真をありがとうございます。

よい旅をおすごしになられたんですね。拝見させていただいて、年齢とともに旅も大きく変わる、そのように感じたりしていました。
そういえば自分の場合でも、同じ所を訪れても、若い時に訪れた時とは全く違ったものを見ていたり、同じものを見ても違うことを感じたり、また同じ人と出会ってもそのえらい変わりように驚いたり、年齢を重ねるともうお出会いできない存在になっていたりなど感じるとともに、自分も変わっているのだろうなぁなど思ったり・・、なんだかそれにより自ずと旅のペースも変わっていたように思います。
旅は日頃出会えないものを見る刺激から、いろんなものを見、感じているのでしょうね。それにより、自分を見つめ直して見たりとか・・そういえば長らく旅に出ていません。旅に出て体を浄化させたい、そのように思っています。
kotaro様も長い旅でお疲れのことと思います。ゆっくり体をお休めください。

添付の写真は旅とは関係ありませんが、先日訪れた「島津越え(五僧越え/滋賀県犬上郡多賀町)」の道にある地蔵堂です。歴史ある道で、関ヶ原の合戦で鹿児島の島津藩が徳川陣を中央突破した後に通ったともいわれている道です。今でも郷土の英雄を讃え、夏には地元鹿児島から関ヶ原踏破隊がやってきます。その様子を撮影しようと訪れたのですが、日を間違ってしまったためか出会えませんでした。写真の大きな杉は薩摩杉と呼ばれており、後に薩摩藩から送られたものが成長したもの、そう伝えられています。

Re: 奥出雲の民家 - kotaro

2017/08/16 (Wed) 10:58:40

e-kon様、返信ありがとうございます。
Facebook内の投稿も読んで頂き、感謝いたします。
来年で明治維新150年に当たり、この所もう一度、近代を回顧しようという動きも多いです。
黒船来航から始まった日本の近代化は、ちょうど50年前の頃は、切手ブームもあり、修交通商条約などの100周年切手が次々と発行されて、小学生後半の私には、よい勉強になりました。

その頃の我家は、父が製鉄所の技術者で、そのお陰で生活が出来、高校と大学まで苦労もせずに進めました。
今回の産業の歴史紀行を通じて、感慨深い体験になりました。

鉄道の開通で、山陰の山奥の青年が、東京の大学に進み、小説を書いて、後の世の私がこれを読み感慨する。これも面白い回顧の旅に繋がりました。

私は次の仕事を探して、最後の生業になればと希望もあります。いま、漠然と、来し方の150年が近代の始まりから終わり、この後の150年間くらいを悪い頭なりに予測して、土台のとっかかりくらいは構築していけないか。
暑い夏に、疲れを癒してから、秋に向いたいと思います。
ところで管理人さまは、URLの機能などを使って、Facebook等の連動は、考えてはおられないのでしょうか。
失礼いたします。

Re: 奥出雲の民家 - e-kon(管理人)

2017/08/17 (Thu) 21:43:42

こちらこそ、掲示板に書き込みいただき、ありがとうございます。
もう1年近く動いていない当サイトですが、唯一掲示板だけが微かにうごいている状況で、こうして動かしていただいてることに感謝しております。

面白いですね。なにか日頃にない動きをすることから得る刺激は、いろいろなこれまでの記憶や経験をかき混ぜてくれて、それがまた思わぬ展開を見せる。旅はそういったことの最高の手段の一つなのかもしれません。毎日変わらぬ生活が続くと、心が淀んでいくのが自分でもよくわかります。そういえばサイトもすっかり淀んでしまっています。それでも毎日訪れてくれる方たちがいてくれるのは、本当にありがたいことです。

>ところで管理人さまは、URLの機能などを使って、
>Facebook等の連動は、考えてはおられないのでしょうか。
Facebookを始めてはみたものの、無精者の私には、使い方はもちろんですが活用の仕方なども今ひとつ理解していない状況にあります。操作的なことより、気持ち的なことなのかもしれません。Facebookにサイトやブログ、関係しているいくつかのURLは載せてはいるのですが、肝心のFacebookが活用できていないためあまり意味のあるものとはなっていません。上手に道具として使えるといいのですが・・。

さまざま蓄積を持たれ、様々な活動をされてきた kotaro様が、この先どのような展開をされようとしているのか、楽しみにしています。こちらもひと段落がつきましたら、サイトの更新をしていきたいと思っています。

写真は鈴鹿の山中の岐阜と滋賀の県境、五僧峠という所から見た岐阜県側の風景です。ほんの最近まで岐阜から峠までは歩くしか術はなかったのですが、今では立派な林道がつけられています、画面中央少し下に、その道があります。

Re: 奥出雲の民家 - kotaro

2017/08/22 (Tue) 08:37:42

こんにちは。まだまだ残暑が続きます。
返信になりますが、私はブログ社会の消長を見て来て、自分も数年前まで毎日熱心に書いて来ました。
そろそろ終わりなのか、壁に当たった事例を見ることが多いです。決してこちらのページの批評ではありません。
SNSは抵抗がありました。自分の都合の良い書き方で表現し、見せることは、メディアにいた人間として、これはジャーナルではないだろうと。
今は宣伝と記事の境がありません。
長年培って来た方法論が崩れ、一番惨憺たる媒体が雑誌です。新書みたいに広告のないメディアは、まだ活発です。
新聞は苦しみつつ、存続に活路でしょう。

次に来るネット情報表現が確立されれば、SNSも退潮になると思います。
ただgoogleが出て来た時から、雲や海のようにお金が付いて、これが経済に影響し、情報が取捨される理由の最もが、金になるか、なのだと思います。
米トランプ大統領の誕生も、従来型政治論から、新体制が勝ってしまっただけで、歴史が覆った訳ではないと思います。
この辺の見極めが、実に危うく影響され易い。ただ我らもインターネット頼りの交際です。
私は眼で見て来た事実しか信じません。現場主義は時代が発達しても、裏切ることはないでしょう。
e-kon様の奥地への探訪は、近頃多い好奇心に野心が着いた物でなく、純粋な好奇心と思索だと思います。
自信を持たれてください。

Re: 奥出雲の民家 - e-kon(管理人)

2017/08/24 (Thu) 01:25:38

こんばんは、kotaro さま
お気遣いいただき、ありがとうございます。

そういえば、このサイトを始めてもう10数年、途中からは「たまに一言」というコーナーがメインになり、まとまりなく書きつづりながら今に至っています。更新は甚だ停滞しているのですが、幸い興味関心は尽きることなく、山村を訪ね歩く日々が続いています。「(お前に)野心がもう少しあれば・・」などと言われたことも何度かありますが、そうなってしまうとたぶん嫌になってしまっていたことでしょう。そういった甘さで、続いてきているのだと思います。

>私は眼で見て来た事実しか信じません。
>現場主義は時代が発達しても、裏切ることはないでしょう。
長らくプロの物書きをされてきた方ならではの、いいことばですね。その通りだと感じます。

写真は鈴鹿山中の山の集落「杉」の茅葺家屋です。残念ながら、もうだいぶ前に倒壊してしまいました。

- kotaro

2017/07/12 (Wed) 04:01:07

暑くなりましたね。
イタリア語でストラーダ。今夜は道について考えています。
よく「道を間違える」と言います。道はなんのためにあるのかと言うと、二つ以上の地点を結び、お互いの行き来を行うためのものでしょう。
ところが人生とか、政治や、学究の取り組みはじめ、人が生きて行く時にも、よく、道を間違えていないか、と聞かれることがあります。
これは後戻りの出来ない道のように思われ、ひとは時に、それに気付いて「はっ」とします。
今はよく言われるのが、日本が戦争前までに歩んでいった一連の経過。「いつか来た道」です。

今夜は政治のことを取り上げる積もりはあまりありません。しかし現総理の政治が最近、混乱し始めたように見えてきました。
「おや?」と思うことは、道を歩いていて、しょっ中考えることです。
写真の風景は1990年、真夏に撮影した島原半島の裏、千々石あたりを戦前に、海の高い所を走っていた幻の鉄道の跡です。
気がつくと私も随分いろいろな道を歩いて来ました。
これで良かったのかと、迷ったり振り返ったり。でも道はどこかに出られると思うから、前に進めるような気もいたします。

Re: 道 - e-kon(管理人)

2017/07/13 (Thu) 00:26:58

こんばんは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございました。
ここのところ大変蒸し暑い日が続いていますね。

おっしゃられるように、道は二つ以上の地点を結び、お互いの行き来を行うためのもの。それは目的地点があって、それに向かって造られたもの、もしくは目的地に向かう多くの人がいることで、踏まれていく中で道の形態を成していったもの、様々な場合があることでしょう。でもその役割を終えたり、間に障害物ができたりなどすると、自然消滅的に道は消えていきます。

最近、明治の頃の古道を調べる機会が結構あるのですが、山間部においては今よりはるかに多い道が、集落間ではりめぐらされていました。それは集落同士を行き来する必要があったり、はるか遠い目的地に向かうために集落感をつなぎながら延びていったり、などで存在していたもの。そういった消えていった道を探っていくと、その地の辿ってきた歴史が見えてきたりして、なかなか興味深いものです。

目的が見えていて、それが納得できるような道であれば、歩むしんどさも造る困難さも我慢できるのでしょうが、目的が見えず、誰のために何のために進んでいるのかわからないような道を歩むのは、なかなか辛いものがあります。そういった時に少し振り返ってみる余裕があれば、過去の過ちが見えて多くのことを学べるのに、などよく感じることです。

添付いただいた写真に写っているのは、プラットホームでしょうか。廃線跡を大規模な自転車専用道路にしたものの、根本的に人が少ないため利用者もなく、荒れ果ててしまっている自転車道(廃線跡)を北海道の旅で何度か目にしました。その時、地元でできるのは自転車道を造るまで。人がいなくなった中ではそれ以上なす術もなく、ただ疲れ横たわる地方の実態が見えてきたように感じました。

写真は廃線となった天北線の浅茅野駅跡です。

Re: 道 - kotaro

2017/07/16 (Sun) 10:17:08

天北線は現役時代に二度乗車しています。
この写真はカラーです。1980年9月1日に、今はなき興浜南線、宗谷バス、北線と乗り継ぎ、浜頓別から稚内まで乗りました。終着の時間にはどっぷり夜の闇の中でした。
浅茅野付近で夏のオホーツクの日没と、横たわる原野に鬼気迫る思いをしながら、不思議な光景に魅入られていました。
写真に一枚納めましたが、光量が落ちており、カラー粒子ではこんな発色しか撮れませんでした。
しかし、私の印象は、こんなモノクロームに近い風景だったかもしれません。
僅かな光芒が海に沈んで行く水平線と、狼の出そうな原野と、それは凄まじいというのが正しいのか、美しいとさえ思われた記憶の車窓でした。

Re: 道 - e-kon(管理人)

2017/07/17 (Mon) 12:33:39

現役の頃の風景をご覧になられているのは、本当に羨ましい限りです。

北海道をさまよっている時に網走〜宗谷間もウロウロし、興浜北線、興浜南線、名寄本線の廃線跡を少し見てまわったのですが、この原野によくぞこのような鉄路を…など思ったものです。待望の鉄道!などと脚光を浴びた時期が間違いなくあったと思いますが、今また原野に還っていくこれらの風景を見ても、「役目を終えた」などと感じることはできません。遺構が何を伝えるのか、これを理解したいものです。

写真は、興部の少し南の原野に流れる藻興部川に架かっていた橋梁(名寄本線)の遺構です。

文月 - kotaro

2017/07/02 (Sun) 04:09:45

いつの間にか半年が終わり、半夏生の余韻に浸っています。
管理人さまは、山歩きは続けておられますか。私は5月に、能勢の奥地の歌垣山に、単独で登ってきて、月末の週には、親族と大江山と丹後半島の旅をしました。

それから一ヶ月以上が過ぎて、暑くなってくると何も出来ず、家の中にはまだ冬の道具が出ている始末です。
文章を書いたり、精神的に整頓した気持ちに浸れるのは、相変わらず休日前の真夜中くらい。
しかし今年は、相変わらずのネット往来で、意外なところから接点の出来た人に、教授してもらえたりと、幸福も感じています。
ネットが出来るまでは、人びとの出合いは「まれ」でした。稀な出合いをいかに活かすかで、名刺交換したり、人類はツールをつくってきました。
本サイトの主眼は道に関することですが、私はそこに自分の情報をいかに混ぜて見せるかを、ネットの時代以降に楽しんだり、工夫しています。
話題が遊飛しましたが、そんなところにも、社会を見ていく一つの例えがあるのではないかと、思っております。
写真は歌垣山の麓に残る大きな民家です。

Re: 文月 - e-kon(管理人)

2017/07/03 (Mon) 23:25:01

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

精力的な活動や情報発信、拝見させていただいております。kotaro様のされる日々の更新に多くの人たちが反応されているのも、その文章や写真、題材等に惹かれる部分が多々あるからなのでしょう。肩の力を抜いた日常だけでなく、ご自身のこともそのまま包み隠さず発信する。そのことに驚きながらも共感を感じる人も少なくないことと思います。

こちらは、時間は以前より随分とれなくなったとはいえ、変わらず山歩き(山村巡り)は続けております。ただ情報発信となると妙に構えてしまうようになって、サイトの更新も滞ってしまっています。生まれながらの無精者なのですが、これまでやってきたことのまとめはどこかでしなければ、など感じています。

添付いただいた老家屋の写真、脚立が見えますね。持ち主の方は様々な手入れをされていたことでしょう。今の時代、こういった家屋で人生の多くをすごした方は高齢化が進んだり、既に人生に終止符を打たれていたりなどで、そこでわずかな幼少期を過ごした、もしくは父母の実家として遊びに行ったという世代へと家主の世代交代が進んでいます。

その新しい世代の人たちにとって、こういった老家屋が残されていることが負担になっているという話もよく聞きます。修繕するには莫大な費用がかかるし、もちろん修繕しても住むわけにはいかない。といって、解体するにも多くの費用を要する・・。
歴史を伝える貴重な老家屋も、個人単位で考えると負担の大きな負の遺産でしかない、そういう場合もあるようです。

写真の家屋は、滋賀県の多賀町にあった老家屋です。もう今は朽ち果て倒壊し、その姿を見ることはできません。

Re: 文月 - 躑躅

2017/07/04 (Tue) 08:16:47

kotaro様、e-kon様、横から入り ご無礼いたします。

滋賀県多賀町にあった家屋の写真を見て、つい 知ったかぶりが発揮したくなりました。

屋根は能勢の家屋と同じく藁ぶき屋根をトタンで覆ったものでしょう。
玄関の柱や板壁・建具が見事に「ベンガラ」。積雪地域での装飾と材木を守る工夫があります。
このベンガラは、私にとって思い出深いものです。子どもの頃 家が改築されて、柱と内廊下にベンガラが塗られ、その後の手入れに 袋に入れた糠で磨く仕事が私に与えられました。やるほどにベンガラが 落ち着いた深みを出してきたことが、子どもながら とてもうれしかった。(先年訪れた岡山・吹屋の家並も忘れられません。)
玄関右は「便所」でしょう。外からも使用するようになっていると思われます。
裏手(右)の高木は「柿」。渋柿で、干し柿を作るために植えられていたかも知れません。(甘味として好まれた。)

かつて人が生活していた。その土地に合わせた暮らしが、1枚の写真から想像できます。

Re: 文月 - e-kon(管理人)

2017/07/06 (Thu) 22:00:13

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

前回の写真ですが、おっしゃられるように玄関の右はトイレでした。柿の木は確認できていませんが、こういった山の集落では柿の木を大変多く見かけます。その他、以前うかがいましたシュロ(ソテツ?)なども大変よく見かける木々です。どれも生活に密着した、大切な植物なんですね。

また、ベンガラ色の光景も山の集落の定番の風景なのでしょう。写真の家屋は奥永源寺の山村のものです。これも塀がベンガラ色に塗られていますね。これらの風景が違和感を感じず受け入れられるのは、デザイン的効果などではなく、生活に必要なものとして生まれてきたものだからなのでしょう。だからこそ人が住まなくなっても、そこから生活が見えてくるのだと思います。

霊仙山、登りたかった... - 躑躅

2017/06/19 (Mon) 20:51:51

掲示板、くり返し訪問しているのですが、この2カ月 時間が止まったかのように動きがなく、寂しく思っています。

今日(6月19日)NHK・BS「にっぽん百名山」に霊仙山が登場しました。
撮影は5月上旬とのことで、今畑登山口までの芹川沿いの道にはシャガが、山上は(福寿草は終了)姫蓮華、ヤマシャクヤクなどの野草が花盛りでした。
今畑の廃村も、20年前まで人が生活していたと説明がついて、映像に入っていました。
山頂まで3時間半の道のりは、途中にはブナ林、カルスト地形の開けた空間(ワラビがたくさん採れそう)、そして頂上は360度のパノラマ。西に琵琶湖の全貌、北には白山の神々しい山並みが眺められました。

私が生まれ育ったところなので霊仙山の名前は知っていましたが、こんな素晴らしい山だとは、この番組を見るまで知りませんでした。
登山なら、子どもの頃は「伊吹山」、成人してからは「信州」しか考えなかった。
老いて足も悪く 登山など考えられなくなった今になって、登っておけば良かったと後悔しています。

Re: 霊仙山、登りたかった... - e-kon(管理人)

2017/06/21 (Wed) 01:48:20

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

慌ただしい日々の中、なかなかサイトの更新ができないまま9ヶ月が過ぎてしまいました。そうした中でも、こうして当サイトに訪れていただき大変感謝しております。

こちら、なかなかサイト更新の時間が取れていませんが、最低限の記録写真は残しておこうと、相変わらず機会をみては山村をウロウロしています。写真は、この春に今畑集落を訪れた時の福寿草の風景です。この日は絶好の登山日和。霊仙山登山の途中にこの今畑に立ち寄る方も多く、福寿草の群生の美しさに思わず声をあげる方もおられました。

霊仙山、本当に美しい山ですね。といっても下から眺めるばかりなのですが・・。BSで放映されていたとは知りませんでした。見逃してしまい残念です・・

山陰の旅 - kotaro

2017/04/14 (Fri) 03:55:22

3月は仕事場で負傷をしたり、今月は大きな行事で、3年前に亡くなられた人の、回顧写真展など、この所は忙しい日でした。
その間の4月1、2日に、鳥取と岡山の山間部を抜けて、久しぶりに小旅行をしてきました。
鳥取の鹿野から三朝の奥にある三徳山に抜ける峠には、こんな遅くでも今年は雪が残り、冬の厳しかったことを再認識します。
前日には姫路の奥地の山崎から、戸倉峠を越えました。
その途中では播磨一ノ宮の伊和神社と、波賀町の旧中心地の集落を歩いて、森林産業盛んな頃を偲びます。
40年前に、司馬遼太郎の「街道をゆく」因幡伯耆の旅を読んで、その辺りが出て来ることを思い出しました。
10年前には殷賑だった29号線も、鳥取自動車道が開通し、トラックの姿も消え、昭和50年頃に中国道が出来たばかりの頃に旅をした司馬遼太郎の文章も、過去の記憶になりつつあります。
それでも今回の旅は、味わい深かったです。
鹿野にいた亀井氏が、後に津和野に移り今に続きます。
100年や200年くらいの歴史は、スパンの長い営みの続いている山陰では、驚くものではありません。
私たち現代人は、あまりに性急すぎて目の前のことばかり考え過ぎではないか。峠から降りていく道沿いにある高い所の棚田には、雪融け水が注ぎ、私は深く春の到来に感銘いたしました。
こんな旅をまだ、続けたいものです。

Re: 山陰の旅 - e-kon(管理人)

2017/04/15 (Sat) 16:23:00

こんにちは、kotaroさま
書き込みいただき、ありがとうございます。

日々のご活躍ぶり、いつも拝見しております。添付いただいた写真を含め、春の色を感じさせていただきました。春は、1年の内でも一番「希望」を感じる時期でもあります。年度始めがこの時期に設定されているのも、そのためなのでしょうか。

そういえば、中国地方にはこれまで数えるほどしか訪れたことがありませんが、自分の中での中国地方の山間部は、なぜか「明るい山間部」というイメージがあります。日頃訪れるのが、滋賀や中部・北陸の雪深い山間部ばかりということもあり、そのように勝手にとらえているようです。それは、雪に閉ざされる地域とそうでない地域への、持つイメージの違いなのでしょう。写真は、日本最古の現役木造校舎だった「吹屋小学校」が廃校となった直後に訪れた時のものです。ちょうど5年前です。

>私たち現代人は、あまりに性急すぎて目の前のことばかり考え過ぎではないか。
>峠から降りていく道沿いにある高い所の棚田には、雪融け水が注ぎ、
>私は深く春の到来に感銘いたしました。
私もそのように感じます。
地球上に生きている生き物の中で、人間だけが本来進むべきスピードを大いに乱して生きているように感じます。その源となっているのが「便利になりたい」「富を得たい」「名声を得たい」「長く生きたい」・・等々の数々の「欲求(欲望)」でしょう。「欲求(欲望)」は大事にしたいものでありますが、何(どこ)に向かおうとするのかをしっかりと持っていないと、大変危険なように思います。

田舎を訪れた時によく「時間がゆっくりと流れているような・・」という表現が使われますが、人間本来の持つ生きるスピードにホッとする、そういうような感覚の表現なのかもしれません。

話題を変えて - kotaro

2017/03/11 (Sat) 13:23:00

今日は3.11。6年前は金曜日でした。土曜休みをもらって、体調が良くないので家にいます。
常磐線の列車が、勿来やいわきを通り仙台まで行っていたのが、不通になり、いつかは復旧するだろうと時刻表マニア的に思っていましたが、6年経ちますが見込みが立ちません。
社会現実にはいろんな状態が有り、亡くなった父や母に、第2次大戦下の生活について、子どもの頃以来よく聞かされていました。
戦争ではなくても、社会的に不都合なものは、遮断されるということを、この6年に知り、それ以前から、ここのサイトでは、意図的ではないにしろ奥地の忘れ去られた、生活のあった場所について、よくテーマにさせていただきました。

どう生きるのかということが、20世紀とは大きく変わってきたように思います。前世紀は何となくレールの上を走る選択があり、家庭と子育ても、不可抗力なく維持が出来たと思います。
重い気持ちにばかり、いつもなっているのではありませんが、時々話題を持ち出して、こんな書き込みにお付き合いいただき、まことに感謝しています。
写真は1978年、故郷の家からバイクで30分。福岡県豊津町にあった、豊前国分寺の風景です。早春の頃。

Re: 話題を変えて - e-kon(管理人)

2017/03/12 (Sun) 17:42:39

こんにちは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

添付いただきました早春の田園風景は、冬枯れ色の間から春の訪れを告げる様々な植物の新芽が顔をのぞかせる、その時期の風景なのですね。これから冬を迎える秋の枯れた色とはまた違った枯れた色、やがて雑草の緑に覆われるまでの、一年のうちで一番爽やかに彩られる季節の訪れを告げる頃なのでしょう。

先日、毎年の春の恒例行事といいますか、福寿草を見るために多賀町の山の集落「桃原」を訪れたのですが、この冬の雪がまだ多く残っていて見ることができませんでした。雪が完全に解ける頃には福寿草の開花時期は終わってしまっているのかもしれません。残念ですが自然相手のこと、仕方がないですね。写真は、その時のものです。

6年前の3/11、私もちょうど休みをもらって自宅にいました。あの時の、ゆっくりと円を描くような不気味な揺れは今もはっきりと覚えています。その後、ニュースで刻々と伝えられる被災の映像を見た時の衝撃は計り知れないものでした。
地震発生時の原発に関する事実の多くが、意図的に正しく伝えられていなかったという事実は本当に恐ろしいことです。何(誰)かの意図によって情報の操作がされ真実が伝えられない、このようなことはわが国だけではありませんが、人間が国を動かしている以上今後も起こり得ることなのでしょう。

それより何より自分の中で一番不思議なのは、原子力の恐ろしさを何よりも知るはずの我が国なのに、原発を肯定する政党が一番支持されていることです。原爆が投下された悲劇、原発事故の悲劇、これらの反省はいかされないのでしょうか。やはりその裏には、様々なことがからんでいるのでしょうね。


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