「e-konの道をゆく」掲示板

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林道や廃村についての情報や感想、
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- kotaro

2017/07/12 (Wed) 04:01:07

暑くなりましたね。
イタリア語でストラーダ。今夜は道について考えています。
よく「道を間違える」と言います。道はなんのためにあるのかと言うと、二つ以上の地点を結び、お互いの行き来を行うためのものでしょう。
ところが人生とか、政治や、学究の取り組みはじめ、人が生きて行く時にも、よく、道を間違えていないか、と聞かれることがあります。
これは後戻りの出来ない道のように思われ、ひとは時に、それに気付いて「はっ」とします。
今はよく言われるのが、日本が戦争前までに歩んでいった一連の経過。「いつか来た道」です。

今夜は政治のことを取り上げる積もりはあまりありません。しかし現総理の政治が最近、混乱し始めたように見えてきました。
「おや?」と思うことは、道を歩いていて、しょっ中考えることです。
写真の風景は1990年、真夏に撮影した島原半島の裏、千々石あたりを戦前に、海の高い所を走っていた幻の鉄道の跡です。
気がつくと私も随分いろいろな道を歩いて来ました。
これで良かったのかと、迷ったり振り返ったり。でも道はどこかに出られると思うから、前に進めるような気もいたします。

Re: 道 - e-kon(管理人)

2017/07/13 (Thu) 00:26:58

こんばんは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございました。
ここのところ大変蒸し暑い日が続いていますね。

おっしゃられるように、道は二つ以上の地点を結び、お互いの行き来を行うためのもの。それは目的地点があって、それに向かって造られたもの、もしくは目的地に向かう多くの人がいることで、踏まれていく中で道の形態を成していったもの、様々な場合があることでしょう。でもその役割を終えたり、間に障害物ができたりなどすると、自然消滅的に道は消えていきます。

最近、明治の頃の古道を調べる機会が結構あるのですが、山間部においては今よりはるかに多い道が、集落間ではりめぐらされていました。それは集落同士を行き来する必要があったり、はるか遠い目的地に向かうために集落感をつなぎながら延びていったり、などで存在していたもの。そういった消えていった道を探っていくと、その地の辿ってきた歴史が見えてきたりして、なかなか興味深いものです。

目的が見えていて、それが納得できるような道であれば、歩むしんどさも造る困難さも我慢できるのでしょうが、目的が見えず、誰のために何のために進んでいるのかわからないような道を歩むのは、なかなか辛いものがあります。そういった時に少し振り返ってみる余裕があれば、過去の過ちが見えて多くのことを学べるのに、などよく感じることです。

添付いただいた写真に写っているのは、プラットホームでしょうか。廃線跡を大規模な自転車専用道路にしたものの、根本的に人が少ないため利用者もなく、荒れ果ててしまっている自転車道(廃線跡)を北海道の旅で何度か目にしました。その時、地元でできるのは自転車道を造るまで。人がいなくなった中ではそれ以上なす術もなく、ただ疲れ横たわる地方の実態が見えてきたように感じました。

写真は廃線となった天北線の浅茅野駅跡です。

Re: 道 - kotaro

2017/07/16 (Sun) 10:17:08

天北線は現役時代に二度乗車しています。
この写真はカラーです。1980年9月1日に、今はなき興浜南線、宗谷バス、北線と乗り継ぎ、浜頓別から稚内まで乗りました。終着の時間にはどっぷり夜の闇の中でした。
浅茅野付近で夏のオホーツクの日没と、横たわる原野に鬼気迫る思いをしながら、不思議な光景に魅入られていました。
写真に一枚納めましたが、光量が落ちており、カラー粒子ではこんな発色しか撮れませんでした。
しかし、私の印象は、こんなモノクロームに近い風景だったかもしれません。
僅かな光芒が海に沈んで行く水平線と、狼の出そうな原野と、それは凄まじいというのが正しいのか、美しいとさえ思われた記憶の車窓でした。

Re: 道 - e-kon(管理人)

2017/07/17 (Mon) 12:33:39

現役の頃の風景をご覧になられているのは、本当に羨ましい限りです。

北海道をさまよっている時に網走〜宗谷間もウロウロし、興浜北線、興浜南線、名寄本線の廃線跡を少し見てまわったのですが、この原野によくぞこのような鉄路を…など思ったものです。待望の鉄道!などと脚光を浴びた時期が間違いなくあったと思いますが、今また原野に還っていくこれらの風景を見ても、「役目を終えた」などと感じることはできません。遺構が何を伝えるのか、これを理解したいものです。

写真は、興部の少し南の原野に流れる藻興部川に架かっていた橋梁(名寄本線)の遺構です。

文月 - kotaro

2017/07/02 (Sun) 04:09:45

いつの間にか半年が終わり、半夏生の余韻に浸っています。
管理人さまは、山歩きは続けておられますか。私は5月に、能勢の奥地の歌垣山に、単独で登ってきて、月末の週には、親族と大江山と丹後半島の旅をしました。

それから一ヶ月以上が過ぎて、暑くなってくると何も出来ず、家の中にはまだ冬の道具が出ている始末です。
文章を書いたり、精神的に整頓した気持ちに浸れるのは、相変わらず休日前の真夜中くらい。
しかし今年は、相変わらずのネット往来で、意外なところから接点の出来た人に、教授してもらえたりと、幸福も感じています。
ネットが出来るまでは、人びとの出合いは「まれ」でした。稀な出合いをいかに活かすかで、名刺交換したり、人類はツールをつくってきました。
本サイトの主眼は道に関することですが、私はそこに自分の情報をいかに混ぜて見せるかを、ネットの時代以降に楽しんだり、工夫しています。
話題が遊飛しましたが、そんなところにも、社会を見ていく一つの例えがあるのではないかと、思っております。
写真は歌垣山の麓に残る大きな民家です。

Re: 文月 - e-kon(管理人)

2017/07/03 (Mon) 23:25:01

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

精力的な活動や情報発信、拝見させていただいております。kotaro様のされる日々の更新に多くの人たちが反応されているのも、その文章や写真、題材等に惹かれる部分が多々あるからなのでしょう。肩の力を抜いた日常だけでなく、ご自身のこともそのまま包み隠さず発信する。そのことに驚きながらも共感を感じる人も少なくないことと思います。

こちらは、時間は以前より随分とれなくなったとはいえ、変わらず山歩き(山村巡り)は続けております。ただ情報発信となると妙に構えてしまうようになって、サイトの更新も滞ってしまっています。生まれながらの無精者なのですが、これまでやってきたことのまとめはどこかでしなければ、など感じています。

添付いただいた老家屋の写真、脚立が見えますね。持ち主の方は様々な手入れをされていたことでしょう。今の時代、こういった家屋で人生の多くをすごした方は高齢化が進んだり、既に人生に終止符を打たれていたりなどで、そこでわずかな幼少期を過ごした、もしくは父母の実家として遊びに行ったという世代へと家主の世代交代が進んでいます。

その新しい世代の人たちにとって、こういった老家屋が残されていることが負担になっているという話もよく聞きます。修繕するには莫大な費用がかかるし、もちろん修繕しても住むわけにはいかない。といって、解体するにも多くの費用を要する・・。
歴史を伝える貴重な老家屋も、個人単位で考えると負担の大きな負の遺産でしかない、そういう場合もあるようです。

写真の家屋は、滋賀県の多賀町にあった老家屋です。もう今は朽ち果て倒壊し、その姿を見ることはできません。

Re: 文月 - 躑躅

2017/07/04 (Tue) 08:16:47

kotaro様、e-kon様、横から入り ご無礼いたします。

滋賀県多賀町にあった家屋の写真を見て、つい 知ったかぶりが発揮したくなりました。

屋根は能勢の家屋と同じく藁ぶき屋根をトタンで覆ったものでしょう。
玄関の柱や板壁・建具が見事に「ベンガラ」。積雪地域での装飾と材木を守る工夫があります。
このベンガラは、私にとって思い出深いものです。子どもの頃 家が改築されて、柱と内廊下にベンガラが塗られ、その後の手入れに 袋に入れた糠で磨く仕事が私に与えられました。やるほどにベンガラが 落ち着いた深みを出してきたことが、子どもながら とてもうれしかった。(先年訪れた岡山・吹屋の家並も忘れられません。)
玄関右は「便所」でしょう。外からも使用するようになっていると思われます。
裏手(右)の高木は「柿」。渋柿で、干し柿を作るために植えられていたかも知れません。(甘味として好まれた。)

かつて人が生活していた。その土地に合わせた暮らしが、1枚の写真から想像できます。

Re: 文月 - e-kon(管理人)

2017/07/06 (Thu) 22:00:13

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

前回の写真ですが、おっしゃられるように玄関の右はトイレでした。柿の木は確認できていませんが、こういった山の集落では柿の木を大変多く見かけます。その他、以前うかがいましたシュロ(ソテツ?)なども大変よく見かける木々です。どれも生活に密着した、大切な植物なんですね。

また、ベンガラ色の光景も山の集落の定番の風景なのでしょう。写真の家屋は奥永源寺の山村のものです。これも塀がベンガラ色に塗られていますね。これらの風景が違和感を感じず受け入れられるのは、デザイン的効果などではなく、生活に必要なものとして生まれてきたものだからなのでしょう。だからこそ人が住まなくなっても、そこから生活が見えてくるのだと思います。

霊仙山、登りたかった... - 躑躅

2017/06/19 (Mon) 20:51:51

掲示板、くり返し訪問しているのですが、この2カ月 時間が止まったかのように動きがなく、寂しく思っています。

今日(6月19日)NHK・BS「にっぽん百名山」に霊仙山が登場しました。
撮影は5月上旬とのことで、今畑登山口までの芹川沿いの道にはシャガが、山上は(福寿草は終了)姫蓮華、ヤマシャクヤクなどの野草が花盛りでした。
今畑の廃村も、20年前まで人が生活していたと説明がついて、映像に入っていました。
山頂まで3時間半の道のりは、途中にはブナ林、カルスト地形の開けた空間(ワラビがたくさん採れそう)、そして頂上は360度のパノラマ。西に琵琶湖の全貌、北には白山の神々しい山並みが眺められました。

私が生まれ育ったところなので霊仙山の名前は知っていましたが、こんな素晴らしい山だとは、この番組を見るまで知りませんでした。
登山なら、子どもの頃は「伊吹山」、成人してからは「信州」しか考えなかった。
老いて足も悪く 登山など考えられなくなった今になって、登っておけば良かったと後悔しています。

Re: 霊仙山、登りたかった... - e-kon(管理人)

2017/06/21 (Wed) 01:48:20

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

慌ただしい日々の中、なかなかサイトの更新ができないまま9ヶ月が過ぎてしまいました。そうした中でも、こうして当サイトに訪れていただき大変感謝しております。

こちら、なかなかサイト更新の時間が取れていませんが、最低限の記録写真は残しておこうと、相変わらず機会をみては山村をウロウロしています。写真は、この春に今畑集落を訪れた時の福寿草の風景です。この日は絶好の登山日和。霊仙山登山の途中にこの今畑に立ち寄る方も多く、福寿草の群生の美しさに思わず声をあげる方もおられました。

霊仙山、本当に美しい山ですね。といっても下から眺めるばかりなのですが・・。BSで放映されていたとは知りませんでした。見逃してしまい残念です・・

山陰の旅 - kotaro

2017/04/14 (Fri) 03:55:22

3月は仕事場で負傷をしたり、今月は大きな行事で、3年前に亡くなられた人の、回顧写真展など、この所は忙しい日でした。
その間の4月1、2日に、鳥取と岡山の山間部を抜けて、久しぶりに小旅行をしてきました。
鳥取の鹿野から三朝の奥にある三徳山に抜ける峠には、こんな遅くでも今年は雪が残り、冬の厳しかったことを再認識します。
前日には姫路の奥地の山崎から、戸倉峠を越えました。
その途中では播磨一ノ宮の伊和神社と、波賀町の旧中心地の集落を歩いて、森林産業盛んな頃を偲びます。
40年前に、司馬遼太郎の「街道をゆく」因幡伯耆の旅を読んで、その辺りが出て来ることを思い出しました。
10年前には殷賑だった29号線も、鳥取自動車道が開通し、トラックの姿も消え、昭和50年頃に中国道が出来たばかりの頃に旅をした司馬遼太郎の文章も、過去の記憶になりつつあります。
それでも今回の旅は、味わい深かったです。
鹿野にいた亀井氏が、後に津和野に移り今に続きます。
100年や200年くらいの歴史は、スパンの長い営みの続いている山陰では、驚くものではありません。
私たち現代人は、あまりに性急すぎて目の前のことばかり考え過ぎではないか。峠から降りていく道沿いにある高い所の棚田には、雪融け水が注ぎ、私は深く春の到来に感銘いたしました。
こんな旅をまだ、続けたいものです。

Re: 山陰の旅 - e-kon(管理人)

2017/04/15 (Sat) 16:23:00

こんにちは、kotaroさま
書き込みいただき、ありがとうございます。

日々のご活躍ぶり、いつも拝見しております。添付いただいた写真を含め、春の色を感じさせていただきました。春は、1年の内でも一番「希望」を感じる時期でもあります。年度始めがこの時期に設定されているのも、そのためなのでしょうか。

そういえば、中国地方にはこれまで数えるほどしか訪れたことがありませんが、自分の中での中国地方の山間部は、なぜか「明るい山間部」というイメージがあります。日頃訪れるのが、滋賀や中部・北陸の雪深い山間部ばかりということもあり、そのように勝手にとらえているようです。それは、雪に閉ざされる地域とそうでない地域への、持つイメージの違いなのでしょう。写真は、日本最古の現役木造校舎だった「吹屋小学校」が廃校となった直後に訪れた時のものです。ちょうど5年前です。

>私たち現代人は、あまりに性急すぎて目の前のことばかり考え過ぎではないか。
>峠から降りていく道沿いにある高い所の棚田には、雪融け水が注ぎ、
>私は深く春の到来に感銘いたしました。
私もそのように感じます。
地球上に生きている生き物の中で、人間だけが本来進むべきスピードを大いに乱して生きているように感じます。その源となっているのが「便利になりたい」「富を得たい」「名声を得たい」「長く生きたい」・・等々の数々の「欲求(欲望)」でしょう。「欲求(欲望)」は大事にしたいものでありますが、何(どこ)に向かおうとするのかをしっかりと持っていないと、大変危険なように思います。

田舎を訪れた時によく「時間がゆっくりと流れているような・・」という表現が使われますが、人間本来の持つ生きるスピードにホッとする、そういうような感覚の表現なのかもしれません。

話題を変えて - kotaro

2017/03/11 (Sat) 13:23:00

今日は3.11。6年前は金曜日でした。土曜休みをもらって、体調が良くないので家にいます。
常磐線の列車が、勿来やいわきを通り仙台まで行っていたのが、不通になり、いつかは復旧するだろうと時刻表マニア的に思っていましたが、6年経ちますが見込みが立ちません。
社会現実にはいろんな状態が有り、亡くなった父や母に、第2次大戦下の生活について、子どもの頃以来よく聞かされていました。
戦争ではなくても、社会的に不都合なものは、遮断されるということを、この6年に知り、それ以前から、ここのサイトでは、意図的ではないにしろ奥地の忘れ去られた、生活のあった場所について、よくテーマにさせていただきました。

どう生きるのかということが、20世紀とは大きく変わってきたように思います。前世紀は何となくレールの上を走る選択があり、家庭と子育ても、不可抗力なく維持が出来たと思います。
重い気持ちにばかり、いつもなっているのではありませんが、時々話題を持ち出して、こんな書き込みにお付き合いいただき、まことに感謝しています。
写真は1978年、故郷の家からバイクで30分。福岡県豊津町にあった、豊前国分寺の風景です。早春の頃。

Re: 話題を変えて - e-kon(管理人)

2017/03/12 (Sun) 17:42:39

こんにちは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

添付いただきました早春の田園風景は、冬枯れ色の間から春の訪れを告げる様々な植物の新芽が顔をのぞかせる、その時期の風景なのですね。これから冬を迎える秋の枯れた色とはまた違った枯れた色、やがて雑草の緑に覆われるまでの、一年のうちで一番爽やかに彩られる季節の訪れを告げる頃なのでしょう。

先日、毎年の春の恒例行事といいますか、福寿草を見るために多賀町の山の集落「桃原」を訪れたのですが、この冬の雪がまだ多く残っていて見ることができませんでした。雪が完全に解ける頃には福寿草の開花時期は終わってしまっているのかもしれません。残念ですが自然相手のこと、仕方がないですね。写真は、その時のものです。

6年前の3/11、私もちょうど休みをもらって自宅にいました。あの時の、ゆっくりと円を描くような不気味な揺れは今もはっきりと覚えています。その後、ニュースで刻々と伝えられる被災の映像を見た時の衝撃は計り知れないものでした。
地震発生時の原発に関する事実の多くが、意図的に正しく伝えられていなかったという事実は本当に恐ろしいことです。何(誰)かの意図によって情報の操作がされ真実が伝えられない、このようなことはわが国だけではありませんが、人間が国を動かしている以上今後も起こり得ることなのでしょう。

それより何より自分の中で一番不思議なのは、原子力の恐ろしさを何よりも知るはずの我が国なのに、原発を肯定する政党が一番支持されていることです。原爆が投下された悲劇、原発事故の悲劇、これらの反省はいかされないのでしょうか。やはりその裏には、様々なことがからんでいるのでしょうね。

ブログ - kotaro

2017/03/04 (Sat) 03:58:58

こんにちは。
以前は二つのブログを、ほぼ毎日のように更新していました。
一つは日記用。もう一つは自動車に関する投稿です。
今は二つとも止めてしまいました。理由はそれぞれあります。
また外部要因にFacebookの利用も大きい。twitterはそれ以前から使っていましたが、たまに思いついた程度でした。
Facebookの便利さは恐ろしいくらいで、そのお陰で、世界中の自動車好きとワールドに付き合っています。が、ここから本論。
私も見直そうと思います。携帯やコンピュータ機器の発達、利用の仕方、これでいいのだろうか。
私は静かな閑居な雰囲気が好き。喋る時だけよく喋る。
コミュニティは溶け込めたり溶け込めなかったり。
人間は孤独を感じない程度に生きたいように生きられたらいいのでは。
たまに投稿する昔の写真。それに管理人様が感じてくれるくらいのお付き合いの方が、気が楽な気がいたします。

Re: ブログ - e-kon(管理人)

2017/03/04 (Sat) 20:44:45

こんばんは、kotaro 様

Facebookでのkotaroさまの幅広いジャンルの記事、内容が多岐にわたり読者も大変多く、とてもうまく運用されているなあといつも拝見させていただいていおります。添付いただいた写真、たしか以前に出品展示されていたものだったと記憶しています。

全く知らない、これまでだったら絶対につながりを持てることの無かった人たちとつながりをもてるネットの世界、功罪ともに計り知れないものがありますね。ネットでの関わりをいただいている方には感謝の部分が多く、功の部分を強く感じていることをとても幸せに思っています。でも今後どこまで便利さを求めるのかを考える時、ネットには恐ろしいものを感じたりもします。

人づきあいが悪く、無精者で偏固な私のような者にとっては、ネットは便利でおもしろいものではあるけれど、自分を晒してしまうような気がして、とても疲れてしまうものでもあります。アナログの世界を知っているだけに、ブレーキのかけどころなどが多少意識できているのかも知れませんが、Facebookはぼちぼち、LINEは必要最少限、twitterはとても無理、そんな感じです。Facebookを写真ブログの替わりなどに、なども考えたりもしますが、うまく活用できるにはまだまだ時間がかかりそうです。







Re: ブログ - kotaro

2017/03/08 (Wed) 05:36:20

こちらこそ、いつも丁寧な返信ありがとうございます。
私は弊害の方を見ていて、他人のことも気にします。
例えば、知性として池田信夫氏などは、以前は随分読んでいたのですが、ある時から、読むのを止めてしまいました。ケンカ上等的な、批判やダメの応酬を画面上でやられると、第三者は辟易とします。
特にレベルに問題がある時は落ちたなあと思います。
炎上現象について、時々考えたりもするのですが、関わったりせずに避けるより他はありません。

海外の人と友達になれるのは嬉しいです。でも誤解で傷つくなら、昔のような生活でも良い。
この辺り、慎重に生き、あれもこれもマルチな活動も、振り返れば何の意味があるのか。
私もだんだん歳を取ってきました。年齢と言説は、ひっくり返ったりはしませんが、徐々に収斂していくものかと、考えたりもします。
それでも昔の写真には、説得力があり、撮っておいて本当に良かったと思うことが多いです。

Re: ブログ - e-kon(管理人)

2017/03/10 (Fri) 23:20:52

twitterやブログは安易に書き込めるぶん、衝動的に感じたことなども、つい深く考えること無く人目に晒してしまうことになりがちです。また感情的な書き込みは、その人の人間性までもさらけ出すことにもなりかねません。テレビなどで目にして好感度の高かった人に対し、「なんだ、こんな人だったのか・・」などと失望するのも少なくないこと・・。

そういえば、最近はサイト記事を書いていても、ついついボヤいてしまっています。批判や文句などのことばを何度も見せられては、見る側は楽しいものではないでしょう。ずっと以前に「私も好きでボヤいているのではない。世間が私をボヤかせるんです」というボヤき漫才というのものがありました。けっこうファンだったのですが、批判をするにしても、心に残るようなおもしろさを持ってボヤきたいなど思っています。

なんだか、わけのわからない話になってしまいました・・

汗ふき峠 - たけ

2017/02/26 (Sun) 16:29:09

大変ご無沙汰しています。いつも興味深く拝見しています。
たまに一言の最後の写真は榑が畑から林道を西に進み三谷集落跡地を左に入ったところですね。シブラ部落跡地看板周辺だったように思います。なんでこんなに車が入らないところにカーブミラーがあるのかなあと思っていました。峠から落合部落に道があるはずなのですがすごいブッシュでしかも夏だったしヒルの攻撃にあって退散した苦い経験があります。

Re: 汗ふき峠 - e-kon(管理人)

2017/02/27 (Mon) 00:42:41

こんばんは、たけ 様
書き込みいただき、ありがとうございます。
ここのところ更新が滞ってしまっている、当サイトです・・

あそこになぜカーブミラーが?というのは私も不思議に思っていました。集落があったというのもずいぶん昔ですし、柾坂峠への道も車が頻繁に通るような道でもないですし・・。

この林道の終着点から柾坂峠までは、すぐの距離にあるようですので、機会を見つけてまた訪ねてみたいと思っています。

ツァーに登場しました - 躑躅

2017/02/23 (Thu) 10:08:33

タウシュベツ川橋梁・幌加駅・第五音更川橋梁が観光ツァーに登場しました。
今朝届いた阪急交通社のダイレクトメールを開けてびっくり! (費用を見てもびっくり) 5月下旬・6月中旬に計3回ツァーが組まれています。行きたいという人がいるのでしょうね。

2年前に、e-kon様をなぞって回った廃線めぐりが懐かしく思い出されます。そして、北海道の大地、まっすぐ続く道路を レンタカーで走った爽快感が忘れられません。

Re: ツァーに登場しました - e-kon(管理人)

2017/02/23 (Thu) 23:30:36

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

北海道の中でも「遠い所」というイメージの大雪山系の向こう(東)側ですが、自分の中では大変思い入れの強い所となっています。ツアーにもなっているんですね。そういった所に人が訪れて、少しでも地域が潤うのは嬉しいことです。北海道はアジアからの観光客が多いのですが、やはりこういう所こそ日本の人に見てほしい、など感じます。

静寂の中の幌加駅跡が好きで何度も訪れましたが、タウシュベツ川橋梁は季節が悪く、未だ見れずじまいです。傷みも激しく、いつまでその姿が保たれるのかも心配されているそうで、何とかみたいと思うものの、ここしばらくはそういう機会を作れそうもありません・・。いつかは、もう一度訪れたいと思っています。

長浜盆梅展 - 躑躅

2017/02/17 (Fri) 10:09:20

掲示板が冬眠に入り、寂しく思っていました。久しぶりに筆をとらせていただきます。
20数年ぶりに長浜盆梅展へ出かけました(毎年 にぎわっていると聞くので、ずっと避けて来ました)。

湖周道路を車で北上し、近江八幡運動公園辺りの水路に20人ほどの釣り人が釣り糸を垂れている風景を見て(この季節 何が釣れるのだろう?)、彦根・松原のクラブハリエでパンを買い(高い!うまい!)、長浜に到着。
盆梅展は、私のような年寄りが大勢来ていました(昨日年金が支給されたから、皆さん 気持ちも元気です)。樹齢250年の梅の古木が 窮屈な鉢に植えられ、見事な花を着けています。
出来上がったものを見ると「すごい!」の一言だけど、きっと裏方仕事がたいへんなのでしょう。

湖北に来ると、人の違いを感じます。郷土愛と、労力を惜しまない地域の人々の生活が知られます。
長浜盆梅展は、展示期間以外、鉢を預かり育てている人たちに支えられているのでしょう。花の後の枝を育て、夏の水やり・秋の剪定、数年ごとの植え替え・・・、たいへんな労力と思われます。
そんなことを考えながら、堅ボーロを買って次の目的地・あねがわ温泉へ向かいました。

あねがわ温泉は初めてだったが、内湯3、露天3(天然温泉、炭酸泉、鉱石泉、ジェットバス)と浴槽が多く、ゆったりした施設で、これで入浴料金が785円。
(駐車場の縁に積まれた、除雪した雪の 半端でない多さに驚きました。気候の南北格差を実感します。)

帰路は、長浜ICから高速を走りました。名神が空いていて瀬田東ICまで小1時間、年金生活者のプチ贅沢をしてきました。

蛇足です。
紅葉の季節に人気の鶏足寺、この管理も地域住民が行っておられるのでしょう。また、観音様のお寺も。
これらを観光資源にして、稼ごうとしないことが感服ものです。湖北の人たちの生き方に拍手です。
ところで、NHKよる7時のニュースの女子アナが虎姫高校の出身らしい。外に出て活躍する人もいます。

Re: 長浜盆梅展 - e-kon(管理人)

2017/02/18 (Sat) 02:33:11

こんばんは、躑躅 さま
書き込み頂き、ありがとうございます。

ご無沙汰しております。しばらく更新できずにおります本サイトですが、こうして足?を運んでいただき感謝いたします。最近は何かと慌ただしく、サイトの更新はもちろんですが、山里にも訪れられない日々が続いてしまっています。例年訪れていました芹谷の雪景色も見ることができず、今年は奥永源寺の山里の雪景色を見に訪れたのみという寂しい状況です。

また「たまに一言」のコーナーも、自らハードルを上げてしまったり、やたら文字数が増えてしまったりなどで、結果として更新が滞ることになっています。原点に戻って、山里への訪問記や感じたことなどのさりげない一言を!などと考えています。

盆梅展を見に行かれたんですね。若い頃は全くわかりませんでしたが、こういった盆栽などがアートとして外国の方にも評価されているということが何となく理解できるようになりました。作り上げられた世界観はもちろんですが、その背景を感じることで、見方がまた変わってくるようにも思えます。何百年と継がれてきたものにある深みを感じますね。

添付いただいた梅、すごいです。それまでの苦労を感じさせず、さりげなくこういったものを作り上げる普通の人たちもまたすごい!など感じます。

添付致しました写真は、奥永源寺の山里の雪景色です。平野部でも大変雪の多いこの冬ですが、鈴鹿の山奥には更なる別世界が広がっていました。

あけましておめでとうございます - 桑名の星の

2017/01/01 (Sun) 01:26:10

管理人様 あけましておめでとうございます

書き込みは久しぶりですがいつも楽しく拝見しています

お体に気を付けて今年も楽しい考えさせるレポート宜しくお願いします。

では、新年のご挨拶まで。

Re: あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2017/01/01 (Sun) 11:13:06

桑名の星の さま
新年、明けましておめでとうございます。

新年のごあいさついただき、ありがとうございました。

急速に変わりつつある
私のホームグランドともいえる芹谷地域ですが
今年もいろいろな所をまわってみたいと思っています。

なかなか更新しないサイトですが、
よろしくお願いいたします。


写真は、大晦日に訪れた
芹谷の金次郎です

冬の玄(くら)さ - kotaro

2016/12/19 (Mon) 04:24:54

別の場所で見つかってしまい、とことん暗い私の心情を話すのも恥ずかしく、こちらにあまり来なくなっておりました。

写真と記憶は、30年経つと昔のことになります。
そういったネガだけで置いていた写真を少しずつスキャンして公開する。
生きているうちにやれることが、生きる苦痛に対する和らぎのように思えます。
鉄道のものも多く、これはあと数日で廃線になる、加古川の下流にあった別府の風景です。

Re: 冬の玄(くら)さ - e-kon(管理人)

2016/12/19 (Mon) 18:02:06

こんばんは、kotaro様

あちらでは突然押しかけてしまい。失礼いたしました。
発信されている内容に共感しながら、いつも拝見させていただいております。

写真に写っているのは貨車でしょうか。そういえば貨物列車も昔と今とではずいぶんと変わりましたね。屋根の無いむき出しの貨車に積まれた石炭?や、窓から見える牛、いろいろなものが運ばれているのがわかり、おもしろく感じたものです。子どもの頃に、なかなか上がらない踏切を通過する、長い長い貨物列車を見るのを楽しみにしていたのも懐かしい思い出です。

今は写真のみならず動画までもが、お気楽に扱えるようになっていますが、その大半がどうでもいい情報ばかりです。写真が気楽でなかった時代のこれらの記録は、本当に貴重なものです。これからも楽しみにしております。

小原かご - お

2016/10/17 (Mon) 15:22:45

管理人さん、こんにちは。

今日の読売新聞の滋賀版に、小原かごのただ一人の作り手として、太々野功さんが紹介されていました。
余呉町中之郷のウッディパル余呉の工房でかごつくりの講座を8年間開いておられるようで、毎年定員に達する人気だそうです。

Re: 小原かご - e-kon(管理人)

2016/10/18 (Tue) 04:27:49

おはようございます、お 様。

そうだったんですか、太々野功さんのことが紹介されていたんですね。私のところは読売新聞ではないので見ることはできないのですが、こうして地域の伝統が取り上げられるのは本当に嬉しいことです。いくつもの壁はあるようですが、なんとか後継者が育つといいのですね。

この講習、ぜひ受けてみたいと調べたことがあります。募集時期が決まっておりその時はダメだったのですが・・。

貴重な情報、ありがとうございました。

彦根道のこと シマサコサイクル

2016/09/23 (Fri) 19:20:01

ご無沙汰しております。
彦根道 大変興味深くよまさせて頂きました。
芹谷、 霊仙の山村方面は何度も自転車で行けるところまではいっております。霊山三蔵の伝説(史実?)、六角氏の時代、木地師伝説等々を調べれば調べるほど興味がわいていきます。彦根藩時代の石高の記録もあるようです。車がない時代は、山村間のいききは谷へおりるわけではなかったようなので その道もなっとくできます。まだまだ興味がつきませんが これくらいで失礼します。 それと、絶妙なカメラワークにいつも感心しきりです。 では・・・また。

Re: 彦根道のこと - e-kon(管理人)

2016/09/24 (Sat) 07:07:24

おはようございます、シマサコサイクル様
書き込みいただき、ありがとうございます。

霊仙周辺は大変歴史のある所で、未だわかっていない部分も多いようですね。それだけに魅力を感じます。周辺集落に、もっと木地師関係の伝承など残っていてもいいと思うのですが、それも歴史の中に埋もれてしまったのか、限られたものしか見ることができません。

おっしゃられるように、昔の集落の行き来は、谷に下りることなく集落どうしを結ぶ山道が利用されていたようです。車などがない時代だったことを思うと、その方が近いし、早かったんですね。今ある道が昔もあったという見方を壊さないと、見えてこない部分なのだと思います。興味は尽きませんね。

今も自転車で各地をまわられているんですね。車とは違って多くのものが見えてくることと思います。行き着いた先より、そこに行くまでの道中に大切なものがある、など最近感じています。そういう場合、自転車での散策は大変効果的なのでしょうね。

今回のお話の舞台 - お

2016/09/14 (Wed) 20:24:13

管理人さん、こんばんは。

だいぶ前の話ですが、初めて榑ヶ畑方面に出かけたとき、榑ヶ畑には徒歩でしか行けないことを知らずに車で奥まで入ったときに、シブラ・板ノ原村落跡に出会いました。
登山をする同僚と榑ヶ畑の話をしてもかみ合わず、しばらく疑問に思っていたころに、自分の足で榑ヶ畑を確かめることが出来ました。
すると、シブラ・板ノ原村落跡のところで廃道状態になった道は、その少し先にありそうな峠を越えていたのか気になったのですが、そのまま自分の中で放置していました。
今回の彦根道のお話で、ひとつスッキリさせていただくことが出来ました。
どうもありがとうございました。

Re: 今回のお話の舞台 - e-kon(管理人)

2016/09/15 (Thu) 07:54:24

おはようございます、お様
いつもご覧いただき、ありがとうございます。

お様も、行かれていたんですね。あの村落跡からは、距離はあと少しで峠のようです。峠の名称は「柾板(まさいた)峠」というようで、この名は榑ヶ畑の小字名から来ているようです。今回は蛭攻撃に遭ったので止めましたが、季節のいい時に一度峠まで行ってみたいと思っています。

霊仙地区の集落が、河内よりこういった彦根、米原の山の集落と交流が深かったのも地図で見ると納得ですが、実際に現地に行くと先入観のせいか、なかなか見えて来ないものです。先入観を棄てて物ごとを見ないと、なども今回感じました。

残暑お見舞い申し上げます - お

2016/08/09 (Tue) 20:37:22

管理人さん、こんばんは。
暦の上では秋になりましたが、猛烈な暑さの続く毎日ですね。
体調にはくれぐれもお気を付けください。

「1967 越波、夏の夢物語」、とても素晴らしい作品でした。
菊地さんの文才の素晴らしさもありますが、私自身が実際に見た越波の風景も重なり、映画を見ているような心地になりました。
越波のことも大きなポイントでありますが、人の人生、さらに私の生きてきた人生を振り返り、考えさせられたような気持ちです。
それに、なんだか無性に越波に行きたくなってきました。
夏の終わりまでに久しぶりに訪れてみようかと思っています。
どうもありがとうございました。


管理人さんのe-konっていうお名前の由来って、本に書かれているお名前なんですよね。

Re: 残暑お見舞い申し上げます - e-kon(管理人)

2016/08/10 (Wed) 08:07:43

残暑お見舞い申し上げます

おはようございます、お様。いつも、ありがとうございます。
暑い日々が続きますね。山に訪れても、あちこちの川の水が少なくなっているのがよくわかります。渇水などにならないといいのですが・・。

「1967 越波、夏の夢物語」を読んでいただき、ありがとうございました。現地の風景を知っていると、また違った感じで物語に入っていけるように感じます。先日も越波に訪れ、現地の方に少しお話をうかがってきました。物語に登場する少年のお兄さんもおられたりして、楽しい時間をすごしてきました。

物語を読んで越波に訪れようという方が増えると、嬉しいですね。私も最後に願養寺の鐘を撞いてきました。もうあたりは暗くなっていたのですが、1軒のお宅に灯りがついていたのが印象的でした。お寺の鐘は自由に撞いていいようですので、行かれましたらぜひ撞いてみてください。いい音で村に響きますよ。

「e-kon」というのはそのままのHNで、お恥ずかしい限りです。「e-con」と間違えられることも少なくありません。

Re: 残暑お見舞い申し上げます - e-kon(管理人)

2016/09/08 (Thu) 00:17:27

こんばんは、お 様

ここに書いていただいたご感想を、作者の菊池さんにお伝えしましたところ、以下のようなお礼のことばをいただきました。



「越波を知る方へ

ご丁寧な感想をいただき有り難うございます。作文に毛の生えたような回想録ですが
近藤さんに乗せられて書いてしまいました。半世紀前の体験が少しでも伝えられたのなら
嬉しい限りです。70歳が目前ですが『越波』には又行ってみようと思っております。

返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

菊地憲二」



ご感想いただきましたこと、改めて感謝いたします。
ありがとうございました。

Re: 残暑お見舞い申し上げます - お

2016/09/10 (Sat) 07:05:27

管理人さん、おはようございます。

わざわざ菊池さんにお伝えいただいて、ありがとうございます。

実は、9月3日に越波に行ってきました。
椿分校跡を回ったりしたので、時間が少なかったんですが、午後のひと時をお寺や神社を回って物語の中に溶け込ませていただきました。
9月に入っていても夏の終わりの気配があって、去る時には菊地さんの気持ちにちょっぴりでも同感できたのかなと勝手に想像しておりました。
今回は珍しく国道157号線の能郷から黒津までの区間を走行できたので、なおさら足跡を辿れたような気がします。

また機会を作って訪れたいと思っております。
その時には私の友人も同行して、「仲間」を増やしてやろうかと企んでもいます。

本当にありがとうございました。

Re: 残暑お見舞い申し上げます - e-kon(管理人)

2016/09/10 (Sat) 20:46:35

こんばんは、お様
お返事返していただき、ありがとうございました。

越波に行かれたんですね。
8月の終わりにはお寺でオールナイトの音楽イベントが行われて、100人以上もの人たちが集まったそうです。長い越波の歴史でも、一番にぎやかな夜だったことと思います。お様の行かれた時は、元の静かな越波に戻っていたことでしょうね。

訪れるとまた行きたくなる、不思議な魅力を持つ越波集落、これから秋から冬を迎え、人1人来ない静寂の村になるのですが、このへんも魅力の一つなのかも知れません。冬の越波を思う時、たった1人で3ヶ月分の食糧を買い込んで、雪に閉ざされた越波で毎年すごされた前区長さんのことを考えます。今の区長さんとご兄弟なのですが、どちらもすごい方です。

秋の越波も格別です。お時間がありましたら、またぜひ訪れてみてください。

『1967年 越波、夏の夢物語』を読みました - 躑躅

2016/08/06 (Sat) 14:57:33

越波 “おっぱ”、何という言葉の響きだろう。地名として、そこしかないものと思えます。

『1967年 越波、夏の夢物語』を読みました。半世紀前の高校生の体験物語 秀逸な文章であったところから、実にリアルに 土地・人物・出来事が読み取れました。
当時はエアコンが普及していなかったために、夏の暑さを避けて、受験生が僻村へ入って行くことが よく見られたのでしょう。

山奥にも人々の暮らしがあります。8月の限られた期間の滞在ながら、菊地氏は詳細に観察されておられます。その後 半世紀がたって、その暮らしが無くなってしまった現在では、この物語は貴重な記録ともなりました。(おまとめ頂いたe-kon様にも敬意を表します。)

ところで私は、菊地氏と二学年上の年齢にあたるようです。越波と変りがない山奥に生まれ、そこに暮らしたので、この物語の世界そのままの生活をしていました。外の世界を知らないままに、自分の個性に従った とても充実した生活が送れていました。

そのような私が、私独特の読み取りをして、3点コメントいたします。どうかお許しください。

・73頁の写真、後ろの山が全面にわたり植林されています。木材が高く売れる時代でした。50年後の伐採を夢見て、汗を流した人々がいたのでしょう。その50年後の今、手つかずの鬱蒼とした杉山で 放置されているのでしょう。まさに政治の問題です。

・高校生の飲酒 おおらかでした。“コンプライアンス”なんて言葉が無かった。

・卒業後の進路 多様でした。自分が置かれた境遇に合わせて 選んだ、あるいは選ばされた。とにかく自活しなければならない。収入を得なければ、生きていけない。それが現実でした。

今の時代が息苦しいという人、昭和の時代 どんな暮らしをしていたか知って欲しい。
自らの首を絞めるような考えを持たないで、おおらかに寛容に生きる道を見出して行きましょう。

何が問題か。「競争」と「数字(お金)」が人々を苦しめるのです。それを象徴する都市が「東京」です。

追伸 1967年の写真に見られる願養寺と その後のカラー写真の願養寺、人がいなくなった寺がこんなに早く荒れるとは、悲しくなりました。

Re: 『1967年 越波、夏の夢物語』を読みました - e-kon(管理人)

2016/08/06 (Sat) 23:28:27

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

「1967 越波、夏の夢物語」、読んでいただいたんですね。嬉しく思います。

躑躅さまも菊池さんと同世代で生きてこられた方。場所は違いますが、山深い地で生活されてきただけに、越波の当時の描写で共感される部分が多かったことと思います。また、山の生活が劇的に変わった時代を直接見て来られているだけに、今の山の集落の状況については強い憂いを感じられていることでしょう。

おっしゃられるように、改めて73ページの写真を見ると、山肌が見事に刈られていますね。薪炭生産など、それまでの山の生業の衰退に危機感を感じ、それを生業にされていた人々が山の木を伐採して売却し、子の代、孫の代が苦労することの無いよう、汗水たらして杉などの植林作業に精を出していたのが、写真より見てとれます。植林が唯一の山で生きる道、そういう思いで必死で仕事をされていたのでしょう。

山で生活できなくなったこと、農業で生活できなくなったこと、これらが山の荒廃や集落の消滅、そして今の少子化・人口減少などの諸問題を招いていることは明らかで、そういう風に舵取りをした国の責任は大きいと思います。にもかかわらず、足元を見ない政治が未だ続いているのは恐ろしいことです。日本という国をもっと大事にしてほしいですね。

自分自身こういったことをするようになって、過去をふり返ることの大切さを感じます。過去、現在の二点をつなげて、守るべきもの、変えていくべきものを判断し、そうして未来の方向を定めていくことで、三つの点がうまくつながっていくのだと思います。

心病む人が増え続けるより、元気のある国になってほしいものです。

Re: 『1967年 越波、夏の夢物語』を読みました - e-kon(管理人)

2016/09/08 (Thu) 00:14:03

こんばんは、躑躅 様
ここに書いていただいたご感想を作者の菊池さんにお伝えしたところ、以下のようなお礼のことばをいただきました。


「二歳年上の先輩へ

ご丁寧な感想をいただき有り難うございます。作文に毛の生えたような回想録ですが
近藤さんに乗せられて書いてしまいました。半世紀前の体験が少しでも伝えられたのなら
嬉しい限りです。同世代ならではのご意見も同感するばかりで、書いた甲斐がありました。
70歳が目前ですが『越波』には又行ってみようと思っております。

返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

菊地憲二」



改めて、ご感想いただいたことに感謝いたします。
ありがとうございました。

8月最後の日曜に - kotaro

2016/08/29 (Mon) 01:14:52

しばらくのご無沙汰です。
少し若い友人の一人が、宮本常一さんの「山に生きる人びと」を読んで、質問ついでに、読み終わった本を貸してくれました。私も著作は読んでいた積もりでしたが、この本に眼を通すのは初めて。
友人の関心はサンカと呼ばれた人たちについてでした。

この本には宮本さんが戦後の昭和30年代に回った地名が多く出て来て、私が20代の頃、昭和50年代に訪れた僻所が多数重なるのに驚きました。
南熊本の最奥地、馬見原(旧蘇陽町)は緑川の上流で、阿蘇山系と、人吉に通じる球磨川水系の間の谷地帯です。
この場所は、1964年まで熊延鉄道が砥用まで通じており、そこからさらに深い山の中に入り、高森から降りて来た国道が交差する最奥地の町。ここから宮崎の小林に抜ける悪路か、高千穂(三田井)まで続く神秘的なコースに分かれます。

こういうエリアを1978年に免許を取った友人と、廃線探訪で初訪問し、興味の枠を石橋群や、緑川水系の森林業の遺構、吉牟田水源の歴史などに広げて数度訪問いたしました。
春と夏の旅行は行ったことのない奥地に行こうと、頭地、五家荘、椎葉など、惹かれたように通った時代もあります。

そういった落人伝説で当時は語られた土地たちが、宮本学説ではサンカの研究対象で、私の訪ねた20数年前に、証拠となる伝承と生活が残っていたことに驚きました。

昭和の終る数年前までには、最奥地に近代と無縁な暮らしを営んでいた人びとの遺構が、かすかに残っていたこと。これらは平成までに急速に失われて、さらに鉄道を使った交通手段も時代の中で短い栄光の時代が過ぎて、そこに行くまでのプロセスも無くなりました。

この大きな時代の変化の流れを、誰に語れば良いのか。年下の友人の「知りませんでした。驚きました」の感想を、うまく共有していきたいものです。

Re: 8月最後の日曜に - e-kon(管理人)

2016/08/29 (Mon) 21:55:13

こんばんは、kotaro様
いつも貴重な写真を、ありがとうございます。

これは馬見原の風景でしょうか。火の見櫓が田園地帯にありますが、すぐ近くが集落??
廃村などを訪れると、火の見櫓が残されていることが少なくありませんが、その多くは集落内にあったように思います。緊急性を要することの多いその役割を考えると、こうして田んぼの中にポツンとある火の見櫓は、少し不思議な風景にも感じます。
九州は、未だ訪れたことの無い所です。地図を見てみました。馬見原は山深い町ですが、四方からの道が集まる所の町なんですね。そのことを思うと、この地は交通の要衝としての歴史ある地だったことでしょう。それにしても北へ行けば阿蘇、東は高千穂、南が椎葉村、なんとも興味深い所です。訪問の際にはぜひとも訪れてみたい所です。

漂泊の民サンカに関しては、やはり私も惹かれるものを感じ、いくつかの本を読んだことがあります。サンカの人たちの代表的な生業の一つに箕作があります。米作りに欠かせない道具である箕の歴史は、古代にまで遡ることができるようですが、そういう長い歴史の中で生まれてきた欠くことのできない技術集団だったのでしょうか。
山々を漂泊し里に出て自作した製品を売るのは、木地屋と共通したものがあります。しかしながら同じ漂泊の技術集団でありながら、皇室との関係を全面に押し出し地位を確立した木地師と違い、差別的な扱いを受けるようになってしまったサンカの人たち。その経緯はわかりませんが、彼らの歴史を語るものが口承のみだったことに神秘性を感じる反面、誤った情報や誤解なども多かったのかもしれません。サンカとしての生活をされていたという末裔の方が、戦後~平成の時代になってもおられたということにも、よりロマンを感じるのでしょう。

そういえば、私の近くに「箕作山」という山があります。かつては、そういった人たちが箕作に精を出した、そういう所だったのかもしれません。

「1967越波、夏の夢物語」 - コウ

2016/08/21 (Sun) 01:08:01

管理人さま、こんばんは。
以前にも何度か書き込みさせてもらっていますコウといいます。

「1967越波、夏の夢物語」を読ませていただきました。
いいですね。私とは世代は少し違いますが、昭和の時代の良さと、恐ろしさの両面を感じました。その頃と今とでは、全く生活が変わってしまいましたが、果たしてどちらが幸せだったのだろうかなど考えてしまいます。今の方が断然便利なんですけどね。

しばらく越波には行っていませんが、私も久しぶりに行ってみようと思っています。
ありがとうございました。

Re: 「1967越波、夏の夢物語」 - e-kon(管理人)

2016/08/22 (Mon) 01:39:21

こんばんは、コウ様
書き込みいただきありがとうございます。

「1967 越波、夏の夢物語」ご覧いただき、ありがとうございました。
一見穏やかな山村の風景、でもそこにはやはり数々の人間ドラマあり、その中には文字にできないようなこともあったことでしょう。時代のおそろしさ、あの時代ならではの大らかさ、温かさ・・物語からいろいろなことを感じることができます。

私たちの生活は1960年、70年の頃と比べると、おそろしいほど便利になりました。でも、それがイコール「幸せ」に結びつかないところが難しいところです。逆に、心の病んでいる人は、今の方が断然多いように感じます。

「果たしてどちらが幸せだったのだろう」わたしものそのことを、よく考えたりします。

はじめまして - 彩

2016/08/19 (Fri) 20:06:34

管理人さん、はじめまして。高校生のものです。
今日、旅行の中で矢木沢ダムと藤原ダムを訪れました。
藤原ダムのほうでは159戸が沈んだらしく、廃村になるということに興味をもち、このサイトを見つけることができました。
私の地元の近くでは、八ッ場ダム建設で旧川原湯温泉街は沈みます。寝過ごしてよく降り立った旧川原湯温泉駅が今はもうないのがとても寂しいです。また他にも、近隣の小学校が数校廃校になり、私の村でもどんどん人数が減っています。
山間の村はとても静かで美しく、子供も元気です。どうにかして将来まで村を絶やさせない方法はないのでしょうか…。
半明、鷲見、田戸、小原のページをみました。私の村もこうなるのかなと思うと悲しいです。質問なのですが、現在ここは水に沈んでいるのでしょうか。丹生ダムの建設が縮小されるような記事をネットで見たのですが…。もし可能ならいつか訪れたいです。

Re: はじめまして - e-kon(管理人)

2016/08/20 (Sat) 00:04:02

はじめまして、彩さま
書き込みいただき、ありがとうございます。

八ッ場ダムは中流域に造られるということで、通常のダム建設より多くの人たちが移転を強いられるとききます。またこれを機に、新たに造成された移転地ではなく、外部に出られる方達も少なくないようですね。
皆が同じ所に移転しても、これまでの生活様式が大きく変わってしまうことで、人々の共同意識が薄れ、隣人との関係も稀薄になってしまうということはよくきく話です。加えて、これまでの村の文化・伝統が形を変えたり失われてしまったり、先祖代々の思い出の詰まった故郷が水の底に沈むことなど、そこに住む人たちの心労や失うものの大きさは計り知れないことでしょう。

ダム計画による移転に関して、残念ではありますが「代替地を用意されているし、補償もしているんだから問題ないだろう」などと思っている人は少なくないと思います。ダム建設が人々の大切なコミュニティの崩壊や、貴重な自然の破壊を招いていること、その重大さを、もっと気づくべきだと思います。

「近隣の小学校が数校廃校になり、私の村でもどんどん人数が減っています。山間の村はとても静かで美しく、子供も元気です。どうにかして将来まで村を絶やさせない方法はないのでしょうか…。」
この切実なことばにとても心打たれます。この彩さんのことば、国交省のえらいさんに聞かせてやりたいものです。

なお滋賀県の丹生ダム計画ですが、最近になって正式に中止が決定しました。迷走したあげくの中止決定です。関係工事も、工事用の立派な道がついているだけですので、いずれの地区も水没はしていませんが、当時の家屋などは一切残っていません。今は水資源機構(国交省)の管理地となっており、かつての住人が家を建てたり、手入れをしたりなどもできません。荒れ放題になっている故郷のことを思うと「本当に辛い」ということばを以前うかがったことがあります。この先も、これらの地はこの状態が続くことと思われます。機会がありましたらぜひ訪ねてみてくださいね。写真は、「鷲見」集落跡地です。

政治の話はタブーですか - 躑躅

2016/07/11 (Mon) 15:13:36

今回の参院選公示前に、安倍首相がJR石山駅前へ遊説に来られ、物見高い私は出かけてきました。
安倍首相到着の30分前に広場に着き、前座を務める代議士さんの話を聞きながら、ふと気づきました。あちらこちらに、選挙カーを背にして聴衆を監視する、イヤホンを耳に入れた黒服の精悍な顔つきの人物たちが、それも総勢15人ほど混じっていることを。これって、自民党総裁の親衛隊?

安倍首相の話に目新しい内容がなく、滋賀を重視していないのか 気迫が感じられず、聴衆も盛り上がらないままに 演説は結構長時間続きました。

自分の名前を冠したアベノミクスの成果を、「有効求人倍率が1.0を超した、税収が増えた 等々」数字をあげて強調しておられました。
(昔の景気を知っている私には、どうとも思えなかった。
株高にしても、素人の私には、公的年金の資産が株式市場に投入され買いが進み、加えて 取引の6割を占めるという海外の投資家には、「円安」のときはドル換算で「安い」ことから 日本株が買われている、そんなことが効果的にはたらいているのでないかと思えてしまいます。
つまるところ、日銀が円の価値を下げる政策を続けているというところでしょうか。
この政策が失敗したとき、日銀総裁は「申し訳ありませんでした。」と謝って がっぽり退職金を手に 辞任するのでしょうか。)

安倍首相は次に外国人観光客の増加を話題に、「滋賀県の外国人宿泊数が前年の×××%増加した。素晴らしいことだ。大津にも、近江神宮にもっと外国人観光客が呼び込めるだろう。」と発言されました。
この「近江神宮」に 私はズッコケました。石山駅前だから「石山寺」だとか、世界遺産の延暦寺がある「比叡山」なら分かるが、近江神宮が出るとは。「アニメちはやふる」がそんなに有名だったのか!

さて選挙は、与党の1つが“政治の安定”を訴えた通りに、過半数を優に超え、改憲勢力が3分の2を獲得する結果になりました。日本の政治は、このまま続くことになりました。

政治の役割って、究極のところ、どこから税金を集めてどこに分配するか に尽きると思います。
これからもお年寄りに手厚く分配されるのでしょう(私は、感謝します)。

昨日(7/10)投票に出かけたついでに、周辺を散歩しました。そのとき出会ったのが、投票所入場券を握りしめて、杖を突きながらも投票に向かう 何人もの老人でした。

低所得高齢者給付金に3,300億円が使われました。一方で「保育園落ちた 日本●●!!!」の若い世代に、あまり税金が回りません。
それは当然でしょう。政治家は 選挙で自分に「投票」してくれる人に優しいのです。
投票に行かない若年層に、政治の恩恵が及ばないのは、いわば自業自得。政治は「生活」に結びついているのだと認識したい。

ところで支持政党。「支持」とはずいぶん上から目線です。「応援」ぐらいで良いと思うのですが・・・。
人はそれぞれいずれかの社会階層に属しています。金持ちには金持ちを守る政党があり、貧乏人には気前よく(リベラル)分け与えてくれる政党が助けになるでしょう。
これらを応援するために投票に行く。これが民主主義でないでしょうか。

Re: 政治の話はタブーですか - e-kon(管理人)

2016/07/13 (Wed) 01:08:20

こんばんは、躑躅 様
いつも書き込みいただき、ありがとうございます。

政治の話はタブーというわけではありませんが、私自身が詳しい知識を持ち合わせておらず、ただボヤくだけしかできない状況です。ボヤくのは得意なのですが・・。

安部首相が石山に来ていたのですね。近江八幡の自民党議員がいろいろあって党を離れ評判を下げていたので、滋賀県にも来られたのでしょうか。黒服の人たちはボディガードなのでしょうね。
一方で民進の候補者の演説には野田前首相が来られていたようです。蓮舫さんが来られていたら、結果も違っていた??なんてことはないと思いますが、ここでも自民が強いという結果に終わってしまいました。

その時の流れにより、何が正しいのかが決まってしまう。これは大変恐ろしいことだと思っています。戦争に突っ走った時代は、それが正しい選択として動いていたわけです。アメリカでは未だに、第二次大戦での原爆使用が正しかったという意見が多いとききます。これはこれで、もっと恐ろしいことかも知れません。だからこそイラク侵攻なども平気でできたのでしょう。

戦争、公害、自然破壊、地球環境破壊、原子力、核兵器使用・・などなど、国の選択というのは、過去に大きな過ちを限りなく犯してきたといえるでしょう。一つの政党が大きな力を持ち、その勢力をふりかざし全てが決まっていくのは、本当に恐ろしいと感じます。誤ったことでも正しいものとなってしまう、そういう危険性があるからです。過去の過ちをいかす、過去をふり返り未来を明るいものにしていく、そういう国であってほしいものです。


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