「e-konの道をゆく」掲示板

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林道や廃村についての情報や感想、
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発見! - お

2020/07/28 (Tue) 18:45:41

管理人さん、こんばんは。
コロナが席巻して大変な状況が続いていますが、お変わりありませんか。
先日、多賀町史編纂を考える委員会のブログを拝見しました。
あれ?どこかで聞いたような話だなぁって思って拝見していたんですが、管理人さんが掛かれたブログだったんでしょうね。
もう長いこと榑ヶ畑あたりには行っていないのですが、初めて入って、廃村が示されていた案内板を見かけた時の事を思い出しました。
で、最後まで拝見して、あれ?
kon?
もしかして?
間違っていなければ、今頃初めて気が付きました(^▽^;)

Re: 発見! - e-kon(管理人)

2020/07/28 (Tue) 23:24:11

こんばんは、お様
なんだか、これまでにない予期せぬ事態で、未だ先行きの掴めない情勢の中での生活が続いていますが、お元気にされているでしょうか。

多賀町史編纂を考える委員会のブログを見ていただいたんですね。ありがとうございます。おっしゃるようにご縁があって、数年前からあそこで記事を書かせていただいています。といいましても、サイト同様非常に遅いペースなので、周りの方々には迷惑をかけっぱなしなのですが・・。

そこでも書きましたが、落合〜榑ヶ畑間の峠の名前はスッキリしたのですが、榑ヶ畑の案内板の集落の詳細については何もわかっておらず、モヤモヤが晴れずにいます。年数が経つにつれて埋もれゆく情報が多いことを痛感する日々です。

こちらも更新できず中途半端な状態が続いていますが、決してやめているわけではありませんので、これからもよろしくお願いします。


写真は霊仙〜鍋尻山といった鈴鹿の山並みです。このあたりの山深い地の魅力はあせることがありませんね。

林道茨川線の終点 - 桑名の星の

2020/06/10 (Wed) 23:58:35

ご無沙汰しております。先日林道茨川線の終点まで初めて行ってきました。途中帰ってきた人に聞いたら「橋が落ちてて渡れないよ」とのことで、やっぱりそうだったんですが。

終点の川向うに事務所らしき建物があったんですが、何かご存知ですか?
廃村跡はもっと奥なんでしょうね。

梅雨入り前日の良い天気で気持ち良かったです、またゆっくりやさしく訪問したいですね。  楽しかった。

ではまた、しつれいします。

Re: 林道茨川線の終点 - e-kon(管理人)

2020/06/11 (Thu) 20:00:54

こんばんは、「桑名の星の」様
長らく更新しておりません当サイトですが、こうして書き込みいただき、ありがとうございます。

茨川に行かれたんですね。行かれた所が林道終点であれば、その川向こうというと茨川集落跡になります。事務所跡らしき建物というのはそこにあったのでしょうか。ずっと以前というか、一時期川の向こう側に渡れる道が作られましたが、すぐに流されてしまったという記憶があります。また治山工事関係の事務所というか、簡易ハウスが川の手前に置かれていたこともありますが、もう15年以上も前のことです。

もしかするとご覧になったのは、集落跡にある山小屋かもしれませんね。写真(昨年の春撮影)奥に見える山小屋は分校跡で、県内の高校山岳部の前進基地です。

Re: 林道茨川線の終点 - 桑名の星の

2020/06/11 (Thu) 22:07:03

こんばんは。返信ありがとうございます。
変な書き込みが有ったのでよかったです。

梅雨入り前の一日、天気予報でいくと今日しかないと、行ってきました。いままで原付でパンクが心配で行けなかったですが、行って良かったです。
釣りの方やバイクもおられました。林道は緑もきれいで川を渡る風も爽やかで益々好きになりました。

次は時間を使って散策したいですね。

これからも林道にインパクトあたえることなく、静かに訪問します、

Re: 林道茨川線の終点 - e-kon(管理人)

2020/06/11 (Thu) 22:38:34

こちらこそ、ありがとうございます
いつの間にか、変な書き込みもあったりで驚きました。

これからはヒルやダニの季節になりますね。季節が良くなった時に集落跡をぜひ散策ください。川を渡りながらになるので、長靴だと便利だと思います。

自然の中って、本当に心癒されますね

新年が明けて - kotaro

2020/01/13 (Mon) 07:33:40

令和になって最初の正月ですが、昔に較べると祝賀ムードが感じられなくなりました。
昭和から平成の時を思い出すと、1月7日で昭和が終わり、平成元年の年末は、1990年代の始まりにいろんなことを予測したものでした。

今回は2020年代に突入した訳で、もっと変化や時代の対応予想が出るかと思ったのですが、新聞の新年特別版にも目新しいことは書いて無く、新聞印刷メディアの退潮を感じました。
それに変わるべきネットや電子媒体にも、それほど目を引く新年記事は少なく、むしろ4月後半の平成を総括する記事の中に、私が共感するものがあったと思います。

私は平成はあまり良い時代でなく、幕引きは早い方が良いと思っていました。戦争の無い時代と、前の天皇が発言しましたが、後の無い退却戦のような状態が25年くらい続いてのバトンタッチです。
それもあるから令和初の正月と言うのに、期待が出来なかったのが庶民感情ではないでしょうか。

私はかつて、毎年新年の予測を、ホームページ、ブログに書いたことが在ります。国際情勢と経済予測もしましたが、世界の話はまだ書けそうですが、経済は予想を楽しむどころではありません。

材料の出ない景気の趨勢よりも、去年のグレタさんの演説ではありませんが、気候が変ですね。今年の池田の1月は一番寒い時期なのに、3月の寒い日程度の寒さです。

Re: 新年が明けて - e-kon(管理人)

2020/01/14 (Tue) 01:38:43

書き込みいただき、ありがとうございます。

そういえば、新年を祝うという正月独特の雰囲気は本当に薄れましたね。ここらは田舎ですので、年末に門松作りのために竹やぶから竹を取りに行く人の姿を見ることがありますが、実際に玄関先に飾っているお宅を見ることはほとんどありません。多分昔からの在所の一部の方が今もされているだけなのでしょう。日の丸を玄関先にあげる光景も、自宅周りでは全く見かけることがなくなりました。

昭和の時代は、ナンバープレートにつける車用のしめ縄とミカンがあって、それをつけたヤンキー車が走り回っていたり、繁華街に行くと着物姿の若い女性を普通に見かけたり等々、それはそれで楽しく面白かったものです。パッソルにしめ縄をつけて走るヤンキーさんの姿には笑ってしまいましたが、それはそれで遊びのような感覚で、みなさん新年の雰囲気を楽しんでいたのかもしれません。

今の時代、「将来はユーチューバーになりたい!」っていう子供さんも多いみたいですね。一昔前では想像つかないことです。この先も、想像がつかないような世界が、時代が待っているのでしょうか。そこに夢が持てるといいのですが、夢の持てない社会や、それを持てないような人間を育てる社会にはなってほしくないものです。

写真は尾羽梨でしょうか、ここらも水資源機構の管理下となってからは訪れることも少なくなってしまいましたが、数年に一度はコソッと訪れています。

中河内の湧水 - masa

2013/01/21 (Mon) 18:55:37

早速拝見いたしました。
あそこの湧水は私も何度か味わいました。非常においしい「清らかな」水ですね。中河内を通るときはよく汲んでいます。
地名はその土地の歴史を表していて面白いです。まったく関係のない話ですが、私がいた海外でNovi(ノーバイ)という町がありました。あるとき友人がその言われは列車の駅の番号(No.VI、ナンバーシックス、6番)なんだよって教えられたとき歴史を感じて感動したものでした。
特に変わった地名は興味を持ちやすいですが普通の良くある名前の地名でも色々いわれはあるのでしょうね。
そんな切り口で地図を眺めるのも楽しいかもしれませんね。

とりとめのない話をしてしまいました。
相変わらずe-kon様のお話は勉強になります!!
ありがとうございました。

Re: 中河内の湧水 - e-kon(管理人)

2013/01/22 (Tue) 21:34:14

こんばんは、masa 様

早々にご覧いただき、またこうして感想をいただいて大変嬉しく思います。
ありがとうございました。

masa様も「己知の冷水」を飲まれたことがあるんですね。夏の暑い時とかは特に美味しいですよね。
そういう時期に『中河内』へ訪れた時などは、必ずといっていいほど立ち寄って喉を潤しています。ああいった水を飲んだ後にコンビニで買ったジュースとかを飲むと、何か毒々しく感じたりしてしまうほど爽やかな味に感じます。

いろいろな所に訪れると、ナゼ?と思うような変わった地名がついている所があります。特に印象的なのは、岐阜県の旧徳山村の山奥にあった「狂小屋」という地名です。どの地名も、それぞれに由来があるもので、大変興味深いです。

この「己知(コチ)」や「ちこべ」もそう感じて、いつか調べたいなぁと思っていた所でした。結局確かなことはわからなかったのですが、こうして勝手にいろいろ推測するだけでもけっこう楽しいものがありました。日本にも、Noviのようにしゃれた地名がけっこうあるのかもしれないですね。

Re: 中河内の湧水 - masa

2013/01/23 (Wed) 09:48:56

本当に、己知の冷水はおいしい水です。夏場にペットボトルで持ち帰りキンキンに冷やして飲んだ時はたまりませんでした。

狂小屋ですか、恐ろしい名前ですね(笑)
ジェイソンでも出てきそうな・・・
滋賀に初めて来たときは「金糞岳」に驚きました。
「くそ」て…(苦笑)
何か言われでもあるんでしょうか、まともに調べていませんがこの機会に調べてみようかな、なんて思っています。
長浜市には「口分田(くもで)」とか「鍛冶屋」とか、名古屋のほうでは聞かない地名が多くて楽しいです。

Re: 中河内の湧水 - e-kon(管理人)

2013/01/23 (Wed) 20:34:48

私も初めて地図で金糞岳の名を見た時は、驚きました。
鉱物の含まれた石がゴロゴロしていたのかもしれませんね。

ちなみに狂小屋は、痴呆症になってしまった高齢者の方が集められて生活していたと聞きます。農繁期の忙しい時など、家に誰もいなくなってしまって危険だったからなのでしょう。
以前、林道奥深く入って行った時に、建物の痕跡らしきものを見た記憶がありますが、当時は今のように車で送迎できない時代、大変だったことと思います。

Re: Re: 中河内の湧水 - なち

2020/01/03 (Fri) 15:00:42

そんな由来が…。痴呆にゃ人権はなかったんですねぇ

Re: 中河内の湧水 - e-kon(管理人)

2020/01/03 (Fri) 20:07:43

その頃の時代、差別・人権無視など、今の時代からは想像できないひどい状況だったことでしょう。とはいえ、デイサービスや介護施設などもちろんない時代、山深い寒村においては、他に方法がなかったのも事実だったと思います。背景を考えると複雑です

新年のご挨拶 - お

2020/01/03 (Fri) 17:35:47

あけましておめでとうございます

昨年は初めて沖島に渡ったっり、蓮分校跡と殉職された先生の碑を訪問したり、久しぶりに開通した中津川林道に行ったりと、充実した一年を過ごせました。
この春でいよいよ定年退職を迎えるので、体力的にも金銭的にも無理のない範囲で出かけたいと思っております。

管理人さんのアップも楽しみにしておりますが、無理のない範囲に留めておいていただいて、細く長くここを楽しめれば良いなと思っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします

Re: 新年のご挨拶 - e-kon(管理人)

2020/01/03 (Fri) 19:55:46

新年、おめでとうございます。
いつもこうして新年のご挨拶いただき、とても嬉しく思います。一方で、こうして応援いただいているのに、新たなアップができていないことを大変申し訳なく思っております。

蓮集落、懐かしいです。何度か行っているものの、分校跡には訪れたことがなく残念に思います。中津川林道にも行かれたんですね。そういえば県外の廃村や林道には、昨年は一度も訪れることができませんでしたが、今年こそ実現させたいなど思っています。

本年も、よろしくお願いいたします。

萌の朱雀 - お

2019/05/20 (Mon) 17:50:09

管理人さん、こんばんは。
ちょっとしたご報告です。
GWは10連休という最大の休みになったようですが、私は2連休1回と単独の休日1回という悲惨な状況でした(;´Д`)
ですが、GW最終日の1日だけの休みに、西吉野をドライブしてきました。
きっかけは、ある方のブログを拝見していたら萌の朱雀のロケに使用されたお宅があることを知ったからです。
調べたらGoogleマップにも出ていました。
山の斜面そのままの畑、みちるが上った赤い屋根。縁側から見える山々。
どれもこれも映画の世界のままでした。
天空の里と呼ばれる場所は幾つもありますが、ここもまた、また訪れたくなるような、すばらしい天空の里でした。(^^♪

また、行きがけに、賀名生バス停にも寄りました。
地域の見どころである賀名生梅林などを紹介する地図には、まだ国鉄バスと書かれていたのがなんとも複雑な気持ちにさせられました。

Re: 萌の朱雀 - e-kon(管理人)

2019/05/21 (Tue) 20:26:37

こんばんは、お様
ご無沙汰しております。書き込みいただきありがとうございます。

すごいですね。心が洗われるような美しい風景です。
「萌の朱雀」からかなりの年数が過ぎていますが、本当に今もきれいに保たれているんですね。ぜひ実際に見てみたい、そう思わせてくれる素晴らしい風景です。あの映像から感じた、淋しげな透明感、やるせない美しさなど、そのまま感じさせてくれるような気がします。

早速、場所を調べてみました。都市部を避け伊賀方面から回ると150kmくらいでした。ここのところ県内の山間部ばかりをウロウロし、なかなか外に足が向いていないのですが、ぜひとも行ってみたいと感じています。良い刺激をいただき、ありがとうございました。

GWも大変お忙しくされていたんですね。1日で西吉野まで往復されるのは大変だったと思いますが、中身の濃い1日だったことでしょう。こちらは、GW後半の晴天時に多賀町の芹谷、権現谷、脇ヶ畑地区などを散策してまいりました。また、先日は久しぶりに茨川も訪問してきました。写真はその時のものです。山小屋として使われている家屋はや分校校舎は今も手入れされて健在でした。廃村とはいえ、こうして人の温もりを感じるのを見るとホッとします。

Re: 萌の朱雀 - e-kon(管理人)

2019/05/21 (Tue) 20:35:24

写真はこちらです

こんばんは - kotaro

2019/05/02 (Thu) 03:18:50

平成が終わり令和になりました。
こちらのお付き合いも長くなっております。
この2、3日に私が目撃した改元に関する庶民の意見、感想で興味を持った記事と私の感想を、今日は書きます。
まずは「平成は戦争が無かった時代」一定の年数を措いた時代で初めてらしい。これは菅官房長官が言ったのでしたっけ。
リトゥイートされて広がっています。
あとは個人的なtwitterフォローしている年代の近い女性の「平成は、結婚出来て、子供が生まれて育って、今も幸せが続いている。とても幸せだった」という女性らしい30年間の振り返りでした。

私は立ち場の違いはあれど、その二つは間違っていないが正解でもないと見ます。
まず戦争は今も世界各地で続いていますが、平成の日本国内では、阪神と東日本の大震災で、多くの人命が近代では戦後初めて奪われましたし、成長社会が終わってからの長いデフレは、国民の多くが夢どころか職も失い、短期的な巻き返しが一度も無かったために、多くの人が自殺すると言う、結果が残されました。

昭和はたしかに第2次世界大戦の、歴史に残る教訓と衝撃があり、比較がしにくいのですが、5年以内に経済の波があり、長期間に渡り喪失して行くといった下り坂が無かったと考えられます。

平成の30年間に日本は、多くのものを失い過ぎました。夢も財産も、貯蓄も含めて、明日のためには残すものがないと言ったような。
今、平成がやっと終わって、人心はかつて無い程疲弊し、新しい時代に希望を持てるか判らないと言います。こういうタイミングに今は立っていますが、後の幸せのような、家族制度などの持続も含めて、頼りや信じられるものを一つずつ増やして行かないと、折角長く続けた元号と言う制度も、日本が世界社会にいる意味すら見出せません。

ところで、e-kon様のこのサイトを見て、日本の人は町に住むことは一部や稀なことであって、昔は町で暮らすより村や山の中で、細々なのか見合った経済活動でじっと何百年も生き続けていました。
私は都市部の極端な集中と、田舎を諦めてしまう過疎も、どこかで転換が価値を含めて起きないかと考えます。
新時代の元頭に立って思うことは、そこくらいに希望を持ちたいものです。








Re: こんばんは - e-kon(管理人)

2019/05/05 (Sun) 02:57:56

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

おっしゃられるように、平成の30年間で日本は多くのものを失ったように思います。平成から始まったわけではないでしょうが、それは今なお継続中で、この先どうなっていくのかもなかなか先が見えないというか、現状では明るい将来をイメージすることができません。それは、今ある問題に対してどのように立ち向かうのかがはっきり示されず、日本の将来のビジョンが全く見えないというのが大きいように思います。少子化・人口減、保育問題、一極集中、年金、介護・・等々誰もが身近に感じる問題の根本的解決案が全く示されておらず、現在や将来いずれもが不安に感じるばかりだからでしょう。これでは人々の心に余裕がなく荒廃するばかり。

北海道をしばらく放浪した時、そこに日本の将来が見えたように感じました。都市部とそこを離れた地域の差のあまりもの激しさ。人の数や様々な施設、交通などは都市部を離れると一気に廃れ、活気を失ってしまうのです。といって地域が怠慢をしているわけではなく、限られた中で必死に努力が成されている。良い施設を限られた予算でようやく作っても人が来ない。当たり前です、人そのものがいないのですから。そして来るのはアジア系の外国の人たちばかり。廃校、廃線、廃村の多さと地方の荒廃は、本当に衝撃的でした。

中山間地で住めなくなった(中山間地で林業・農業で生活できなくなった)ことで、山間部では多くの集落が姿を消し、人々は都市部へ出ざるを得なくなる。といって都市部で豊かな生活が送れるかといえば決してそうではなく、むしろ経済的には苦しく、将来の光など感じられない。更に、これからは年金受給年齢はさらに高く設定され、70歳になるまで働かなければならなくなる時代が来るといいます。これで将来に夢を持つなど、普通に生活する大半の者にとっては難しいことです。

子どもを持つ若い世代が普通に働きながら豊かに暮らせる、複数(3人以上)の子どもを持っても普通に生活できる、まずはそのあたりの実現を具体策を示し目指して欲しいものです。具体策を示せば、消費税アップも納得できるでしょう。

などボヤいてばかりですが、写真は昨日訪れた琵琶湖近くの田植え準備の風景です。たくさんのユリカモメが印象的でした。彼らは、もう間も無くして北のカムチャッカを目指して旅立つようです。

平成から令和へ - 桑名の星の

2019/04/14 (Sun) 21:03:48

管理人様、久しぶりに書き込みさせていただきます。
世の中やたらと「平成最後の・・・」とゆうのが氾濫してます。
元号がどうなるなんてのは、さほど興味はないですが、人生の中の区切りにはなるかもしれませんね。
そんな平成から令和に変わる時、思うに平成の最後の時期にこのページを知り、山深い集落を単車で訪問したり、林道の側で一夜の自然を身体で感じたり、貴重な体験を経験しました。
おそらく令和の時代になってもやってるんでしょうね。

管理人様におかれましても、ますますのご活躍期待しております、どうぞお元気で!  では。

Re: 平成から令和へ - e-kon(管理人)

2019/04/16 (Tue) 01:07:34

こんばんは、桑名の星の 様
書き込みいただき、ありがとうございます。こうした書き込みをいただき、大変嬉しく思っています。

このサイトがきっかけで、ご覧になった方が山や集落に出かけたりされているとしたら、そして共有できるような思いを感じていただいているとしたら、それは本当に幸せなことであります。変わりゆく山の風景は、いろいろなことを語っているように思います。それは時代が変わっても継続しています。

すっかり更新が滞っていますが、この春も多賀の山奥へ行ってまいりました。その風景を見ると、確実に時は流れ山村の風景が変わっていることを感じます。写真は脇ヶ畑地区・杉集落の風景です。

年明けの御挨拶 - kotaro

2019/01/22 (Tue) 06:55:52

平成最後の新年が明け、今年が始まりました。
気持ちは年々「憂し」という感覚が募ります。
管理人さまご存じのようにSNSを使っていると、私は時々実名と実体の個人の乖離のようなものに悩み、何をしているだろうという気がします。
ここに来させてもらう時は、パソコン空間が本来持っていた気軽さと、余計なものを身に付けない心の軽さで書かせてもらっています。
昔の旅の記憶が、40年前になりました。そういった時代を見て来た私もとうとう今年で還暦で、何もできなかったけれど、人生は諦めの方が気が楽で、手元に何も残らない方が、彼の世への旅に出やすいと思います。
私にとり浮世は、人との会話や相談を受けて、面白い動き方や生き方をしている人との対話の方が楽しくて、私がつまらないと思う方法論で生きる人と接することは、とにかくしたくないと、改めて思います。

パソコン社会が20年になり、皆さんはそれ以前の記憶を求めて彷徨っているように思えます。
私は古い写真ばかり整理して、自分の使いやすい方法で取り出して、質問によく答えます。
これで平成が終わり、もう一段と昭和の記憶は過去の歴史になります。
その昭和の時代ってなんだろうと、漠然と万博が議論されたり、実に底の浅い反駁がなされたりと、平成の奇妙さばかりが目立ちます。
平成は本当にシリアスなことばかりの時代でした。
人間ってほんとうはもうちょっと馬鹿でおっちょこちょいで、でも原初的な楽しい生き物の筈だったとよく思います。
それは古い写真のなかに、残っているのかもしれません。

Re: 年明けの御挨拶 - e-kon(管理人)

2019/01/24 (Thu) 00:03:07

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

平成もあと数ヶ月ですね。昭和という時代は、自分の中で強烈な印象があるのですが、さて平成は?っていわれると、何も浮かんでこないというか、浮かんでくるのは大きな災害があったということが強く残るくらいで、どうも印象が薄く感じています。もちろん社会は大きく変容しているのですが、昭和のようにわかりやすくない、そういうイメージです。自分の年齢的なものもあるのでしょうね。

変な表現ですが、今の日本社会は「可愛くない」そんなイメージです。ひねた子どものようなというか、通常、単純に外にむけて発すべきエネルギーが内に向かい、くすぶる感じで自己解決してしまう。そのため、何かをする前に自分の中で展開し結論を出してしまい、結局行動を起こすことなく終えてしまう、そんな感じです。その背景には今の情報社会、自分が動かなくても(表面上は)なんでもわかってしまう、見ることができてしまう、ネットの中で解決できてしまう、ネットの中でも嘘か誠か不明な「自分」が簡単に作り上げることができてしまう、そういった不思議な背景があることも影響しているように感じています。そして、そういった中にどっぷりとつかっている自分、近寄りたくないという自分も感じています。

好きな山里歩きは今も続けていますが、そこで出会う人たちが自分に近い世代となってしまってからは、以前感じていたような新鮮な気持ちを得ることが難しくなっているのも、時代の流れでしょうか。昭和真っ盛りを生きてこられた80代、90代の年齢の方のお話は本当に胸がワクワクしたものですが、そういった世代の方々と山で出会えることは年齢的にごく稀です。とはいえ、私自身意欲を失っているわけではなく、これから自分の中でこれまでのことをどうまとめていくのかという課題を感じる一方で、まだまだ動いてウロウロしないと!というのも強く思うところです。おっしゃるように馬鹿でオッチョコチョイであってこそ、面白い展開が起こり得るのだと思います。

写真は、鈴鹿の北部、霊仙山から鍋尻山あたりです。この山中に多くの廃村が点在しています。

寒中お見舞い申し上げます - お

2019/01/18 (Fri) 20:44:02

管理人さん、こんばんは。
昨年、義父が逝去した野生動物ため、今年は新年のご挨拶を控えていたため、書き込みが遅くなって申し訳ありません。

昨秋、念願だった牛首峠を越えて水無から利賀に抜けるツーリングを達成できました。
ちょうど、桂湖への道が締め切られる日だったので、水位が下がっていたにもかかわらず桂集落の跡に行けなかったのは残念でした。
今年も、心地よい風景を求めて出かけたいと思っております。

本年もそうぞよろしくお願いいたします。

Re: 寒中お見舞い申し上げます - お

2019/01/18 (Fri) 20:45:37

すみません。
チェックしたつもりが、なぜか「野生動物」という」意味不明の語句が紛れ込んでおりました(^▽^;)

Re: 寒中お見舞い申し上げます - お

2019/01/18 (Fri) 20:47:30

なぜか、まだまだ誤変換が紛れ込んでいますが、笑って済ませてやってくださいm(__)m

Re: 寒中お見舞い申し上げます - e-kon(管理人)

2019/01/19 (Sat) 20:16:19

こんばんは、お様
毎年、ご挨拶をいただき、ありがとうございます。
自分はもう両親ともにいませんが、亡くした頃の記憶は今も鮮明です。人間、歳を重ねるとともに様々な別れがあり、いつかはおとずれるものとわかってはいても、やはり寂しく辛いものですね。

牛首林道!
峠を越えて「水無」ということは、白川村から入られたんですね。何度か訪れたものの振られ続けている自分ですので、とても羨ましく思います。途中の牛首谷にあった、かつての合掌家屋集落「牛首」への思いは、もう10年以上にもなります。そして未だその思いは消えることはありません。諸事情で、なかなか遠征ができにくい状況になっておりますが、いつかは実現したいものです。

誤変換、私もメールなどでよくやらかします。真面目な内容でやらかし、なんとも恥ずかしく思ってしまうこともしばしばです(笑)
滞っているサイトですが、今後ともよろしくお願いいたします。

写真は、昨年暮れに訪れた芹谷の風景です。

ご無沙汰しております 罰当たりのオヤジ

2019/01/01 (Tue) 10:53:03

返信出来ないのでこの掲示板に書き込みます。
昨年も20部ほど知人らに配りましたが、なかなか「越波」の関係者や近隣地区の出身者には辿り着きませんでした。関東では仕方ないでしょうね。嬉しいことに、興味を示した方が何人かおりまして、時間ができたら連れて行こうかと思っております。昨年から何度かメールしましたが、全て戻ってきています。電話するほどではないので、とりあえず「本年もよろしくお願いいたします。

Re: ご無沙汰しております - e-kon(管理人)

2019/01/01 (Tue) 22:55:27

罰当たりのオヤジ 様
新年おめでとうございます

何度かメールをいただいていたようで、申し訳ございませんでした。今、このサイト用に使用しておりますメール(hotmail)が、どうも不安定なようなので、別のアドレスに変更を考えています。またこのサイトももうすぐ使用不可となりますので、現在移設作業中です。制作しておりましたジオシティーズが廃止となってしまうためです。

バタバタしていますが、今年もよろしくお願いいたします。

たまに一言 - 桑名の星の

2018/10/04 (Thu) 20:51:35

こんばんは、久しぶりに覗かせていただきました。先の方の書き込みにもありますが、「たまに一言」の更新うれしゅうございます。「たまに一言」の美しい写真と愛あふれる文章、これらはまとまった本のようなものは有るんでしょうか?また有れば手に入れることは出来るんでしょうか?いかがでしょう。これからの益々のご活躍お祈りしています。では。

Re: たまに一言 - e-kon(管理人)

2018/10/05 (Fri) 18:54:11

こんばんは、桑名の星の 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。そのように、このサイトの更新を思っていただけるなど、このようなサイトを立ち上げた時には思ってもみなかったことで、何より幸せに感じることでもあります。心より謝いたします。

おっしゃられるような本はありませんが、10年以上も続けている中で、何かの形でまとめていきたい、など思っているところです。ここ数年で、多賀町をはじめ、滋賀の山村の風景は急激に変わってしまっています。それらの人や村の記録を、自分なりに何かの形に残していけないか、など感じています。

大変励みになりました。ありがとうございます。

写真は、脇ヶ畑地区で愛されている、キツネです

Re: たまに一言 - 桑名の星の

2018/10/06 (Sat) 07:29:27

おはようございます。返信ありがとうございます。記録に残す活動、是非ともお願いします。学術研究的にも貴重な資料だと思います。自分は本好きなんで紙で残してほしいですが、どうでしょうか。勝手なことを書いて失礼しました、どうかご容赦を。では。

Re: たまに一言 - e-kon(管理人)

2018/10/07 (Sun) 00:02:42

こんばんは
電子図書とかも考えましたが、おっしゃられますように、やはり紙媒体がいいですね。以前出版社に自費出版についてききにいったりしましたが、費用もバカにならず、なにより自分の場合は、好き勝手に作れるような方法が似合っているように感じました。幸い、今の時代いろいろな方法があるようです。実現に向けて進めればと思います。
ありがとうございました。

おおすぎ - お

2018/09/29 (Sat) 19:41:09

管理人さん、こんばんは。
待ちに待った「たまに一言」の更新。
写真と文章で、大杉集落に触れさせていただきました。
じつは、ここを通って林道に行くことが多かったのですが、いつも通過ばかりで、風景をじっくりと味わったことがありませんでした。
これを機会に、集落の風景を拾いにそっとお邪魔してみたいと思い始めています。

Re: おおすぎ - e-kon(管理人)

2018/09/29 (Sat) 22:06:45

こんばんは、お様
書き込みいただき、ありがとうございます。
また、そのようにいっていただき、大変嬉しく思います。

今となっては、大変貴重な滋賀の林道ですね。次回行かれる際は、ぜひ大杉集落で少し立ち止まり、あの静かで美しい風景を感じていただければと思います。

そういえば少し前ですが、この林道とつながるミノガ峠付近で、オフローダーの方がバイクだけを残し、行方不明になっておられました。鈴鹿の写真を撮りに行かれてのことだそうで、とても他人事とは思えない心境で気になっております。ご家族の方も大変心配されていることでしょう。1日も早い解決を願うばかりです。

多様性があった時代を忘れない - 躑躅

2018/09/24 (Mon) 13:04:04

『鈴鹿の山峡集落「大杉」にて』 “たまに一言” が2年振りの更新。
e-kon様はどうしておられるのか と常々気になっておりました。
実は、以前 @hotmail宛にメールを差し上げていたのですが・・・。

9月4日台風21号が襲来したとき、多賀町に避難勧告が出されて、各字(あざ)の人数がテロップに出ました。失礼ながら、その数字に大変興味が向きました。
寂しいところもあったが、大杉 56人等々 結構な人数が暮らしておられることに 内心ホッとしました。

耕地が無いのに結構な戸数がある。人々の生業は何なのか。
私が子供の頃は林業が盛んだったから、炭焼きを含めて山を糧に生活ができていました。

山仕事で使うノコギリの目立て・鍛冶、大工・建具・トタン加工、いわゆる職人仕事がありました。
他にも炭の行商や家庭配置薬の配達など、外に出る仕事に従事する人もいました。
それに、生活する人がいれば、村に商店があり役所・学校が出来ます。
(大杉に有ったアマゴの養殖池は、現在どうなっているのでしょうか。)

このように、仕事は様々なものが存在し、今の時代のような 会社勤めしかないと言う事ではなかった。
現金収入が少なくても生きられた時代でした。

今回の自民党総裁選挙、「地方創生」が言われました。石破陣営のホームページには、全国47都道府県へのメッセージがあり、そこから私は「地方は自信を持て」との主張を読み取りました。
東京を、あるいはニューヨークばかりを見ていないで、それぞれの独自性を出そう、と言う事だと思います。

BS放送 “アランドロン、ラスト インタビュー”を見て、フランス・イタリア映画が輝いていた時代を思い出しました。
どの作品も、街角の風景とともに 人々の哀楽、心のひだが上手に表現されていました。
観終った後のカタルシス。心が洗われて、人間がいとおしく思えるようになりました。

競争と分断の時代に在って、今一度ヨーロッパ映画が観たいものです。

そして、価値観にも 多様性が取り戻されることを願っています。

(追伸)自民党の人気者・小泉進次郎氏(37才)が、“多様性” をしきりに言い出しました。“一極集中”“一強” に、国民が閉塞感を感じていると 彼が感じ始めたからでしょうか?

Re: 多様性があった時代を忘れない - e-kon(管理人)

2018/09/29 (Sat) 21:51:14

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

お返事が遅くなってしまい、大変失礼いたしました。
ここに投稿いただくと、メールで知らせてくれるようになっているのですが、なぜかその知らせが来ておらず、先ほど気づいた次第です。この年齢になってからの転職などで何かと慌ただしく、PCを開くのが週末くらいになっており、掲示板への投稿については、そのメール頼りになっていた次第です。申し訳ございませんでした。また、更新のない間も気にかけていただき、心より感謝しております。ありがとうございました。

ところで以前いただいておりましたメールで、躑躅様が大杉医院に行かれたことがあったことはずっと覚えており、写真撮影をしている際にもそのことを思い出しておりました。今では静かになり動かない空間の大杉、その元気だった頃の風景を体験しておられるのは本当に貴重で、羨ましく感じます。大杉の昔の風景をご存知なのも、同様に感じております。もしかすると、子供の頃に大杉川で魚獲りなどもされていた?なども思いながらの、今回の記事の執筆でした。今回お話を伺ったご婦人は、躑躅様の少し年齢が下の方ですが、大杉のお出だそうですので、小学校は同時期に通っておられたかと思います。そういう意味でも、今回の大杉の記事作成には、何かと身近に感じたりもしていました。

多様な価値観の喪失は、人そのものにも当てはまるようですね。一定の価値観で人が評価され、ちょっと変わっていたりすると、異質なものとしていじめの対象になったり排除されたりしてしまう。〇〇症候群、〇〇障害などの病名も近年多く聞かれますが、昔はそういう人たちが一芸に秀でて大きなことを成し遂げたものです。もちろん病気の原因を、治療のために突き止めることは大切なことですが、何かに原因を求め、枠にはめこむことで安心する構造というか、多様な価値観が存在しにくい世の中なんだと感じています。その背景で、貴重なものが潰されている現実もあるのかと思います。

今回の総裁選では大きな動きをしなかった小泉進次郎さんには少しがっかりしましたが、いつの日か、今の流れを変えてくれることはあるのでしょうか。

写真は、蕎麦の花と杉坂峠の風景です。

台風 - お

2018/09/04 (Tue) 22:48:28

管理人さん、こんばんは。

この夏の暑さはかなり厳しかったですが、お変わりありませんか。

ところで、今回の台風は前回以上に凄くて、近畿各地で被害が出ているようですね。
我が家もカーポートの屋根の一部がめくれ上がるという、初めての被害を出しました。
管理人さんのお宅は大丈夫だったでしょうか?

山の廃村や林道の被害が気になります。
というか、心配の正体は自分が遊びに行けなくなるんじゃないかというのが本音じゃないかと我に返って恥ずかしく思っています(;´∀`)
ともあれ、温暖化などで気候の変化が忍び寄っているとの話も聞くにつけ、こんな台風が次第に増えていくんでしょうね…

人の心も自然も、今を生きる人間にとって次第に厳しくなっているような気がしています。
自分で自分を守る術を身につけて行かないといけないのが、便利になった代償でやって来るとはなんだか困ったものですね。

Re: 台風 - e-kon(管理人)

2018/09/06 (Thu) 01:08:34

こんばんは、お様

今回の台風で被害を受けられたとのこと、あれだけの暴風だっただけに、特にその時は大変だったことと思います。でも、お怪我等なかったことが何よりですね。こちらは、風が裏山に遮られる位置にあったため、特に被害はありませんでした。ご心配いただき、ありがとうございます。

台風や大雨の度に、いつも山村のことを思います。自然の素晴らしさと恐ろしさは一体なもの。そこで暮らすということは、当然恐ろしさにも晒されることにもなる、なんて言葉で言うのは簡単ですが、想像できないような様々な面での危険があることでしょう。

最近は本当に「何十年に1回の」「稀に見る大型の・・」「観測史上初の」などのことばを、よく聞きますね。今後は「想定外」のことが普通に起こり得る、そう認識しておかないとだめなのかもしれませんね。

はじめまして - take

2018/08/15 (Wed) 14:44:36

八つ墓村について検索していて、こちら「道をゆく」のサイトに参りました。
誰かの故郷であり生活が繰り広げられた、懐かしさに溢れているはずの場所が廃れていく事実を、廃村のように荒廃していくにしろ、都会のように変化していくにしろ、永遠にはない人や生活の流れがあるということを、しきりに考えています。日頃から、漠然と分かってはいても、それを現実の写真に見ると心が揺さぶられます。サイト内には、お考えや想いが、私には書けない文章で同感以上のものとして言い表され、読むこと以外出来ませんでした。
私にも思い出深い場所や風景があります。しかし、その場所も変貌していくはずで、ずっと何代も先の人や、逆に前の人は同じ場所にいても感慨もない気がします。私自身を知っている人もやがて当然いなくなる。そう思いながら思い出を大切に思う心は変わらず、それを繰り返すのも人、そうするのが人である気もします。このサイトを拝見し、思い出や無くなっていくものに対し、どう対峙したらよいか、私なりに整理が出来そうな気がしています。越波の物語も読みました。楽しい思い出が、楽しい今につながれば良いなと思います。私は廃村を前にしたら、あまりの寂しさで、写真を撮ることが出来ないように思います。このように廃村をその風土や歴史を交え見せていただき、ありがとうございます。(山口県在住、52歳)

Re: はじめまして - e-kon(管理人)

2018/08/16 (Thu) 12:13:20

はじめまして、take様。
書き込みいただき、ありがとうございます。ご覧になられて、そのように感じられたことを大変嬉しく思っています。また、拝見させていただいて、いろいろなことを感じております。

集落の歴史はその場所の歴史ということだけではなく、そこにあった人たちや生活の流れの歴史ともいえるんですね。連綿と続いてきた歴史の中で、生きるために必要な多くのものが受け継がれたり、また、ご先祖様を敬うことで一族の血を大切にしてきたりなど、時代時代の中で人や生活が絡み合いながら集落の歴史は作られてきた。ところが時代が変わり、その場所を離れざるを得なくなると、生活の流れの歴史はそこで途絶え、新たな場所で新たな生活が始まる。当初は旧地を大切にしていても、やがて代が変わるとそれも薄まり、寺社や墓地なども移されてゆく。かつての故郷の地は次第に人の痕跡を薄め、そこでの歴史も遂には消えてしまう。
私がこういった地を訪れ始めて、もうだいぶ年数がたちますが、最近は、代が変わった新しい人たちがかつて先祖の生活のあった地をどのように感じておられるのだろうか、そのことをよく考えます。

こういった所を数多く訪れて集落の歴史を調べたりしていると、それは国の歴史を振り返っていることにもなっている、など感じています。なぜその集落が滅ばざるをえなかったのか、そこからは多くのものが見えるように思います。時代とともに消えていかざるを得ないもの、消してはならないもの等々様々なものを感じます。

平成30年7月豪雨 - kotaro

2018/07/17 (Tue) 00:31:57

こんばんは。
七夕の三日間の豪雨から一週間が過ぎて西日本は、大変な被害に打ちのめされた被災地の、その後の状況に今も言葉を失う状況です。
管理人さまのお住まいの地区は、どうだったですか。
私の住む北摂は、奥の方で国道や、あちこちが不通になっているらしいのですが、岡山や広島、愛媛県の惨状をニュースで聞き、出かける気にもなれないというのが現実です。

誰かが、平成の30年間は、まだ終わっていませんが、ずっと災害の連続であったと言っています。
昨年も大きな水害が起きた福岡県と大分県の久大線、日田彦山線の日田方面は、数日前に久大線が1年ぶりに復旧しました。ですが日田彦山線の再開はめどが立っていません。
1年ごとに梅雨期や台風の豪雨で各地は大きな被害が出るようになったのはなぜか。

また平成の30年間は、7年に起きた阪神大震災以来、震度6や7の地震がいつでも発生するようになりました。
火山の噴火で登山中の人間が多数亡くなったり、また忘れられない7年前の3月11日の東日本大震災で、東北沿岸を中心に、2万人の命が消えました。
ここまで書いて来てびっくりするより、平気になってしまった感覚に驚きます。

昭和20年の敗戦後の10数年間は、大型台風の被害で伊勢湾台風まで教訓を残すような災害が続きました。それは戦時中の物資不足で、山の木を切り過ぎたことで、川があふれたといいます。
今はそれから70年が過ぎて、高齢化した地域社会のアキレス腱が、露呈しているのだろうか。

私は個人的には、そういった土木などの予算が、反戦論者でないので、軍事費に行ったとは思いたくないのですが、高齢者中心の社会保障費に消えていないか。そんなことも類推しました。

いずれにしても地震は今の段階では予測不可能ですが、水害の被害は食い止めるために、何らかの努力が必要ではないか。
広島市周辺では、都市の顕著な人口増と集中で、家を建てるのに向かない造成が、35年間に進みました。
母の故郷だったので半世紀以上通った懐かしい場所ですが、可部線や芸備線の周辺、また昔は田舎だった瀬野周辺も、家だらけになりました。
今回の被害の大きかった地区は、みな山あいに35年くらいの間に造成されたエリアのように考えられます。

長文になりましたが、今一度、このサイトを見ながら考えたのは、数世紀遡って、人の住む土地を真剣に考えたり、集中し過ぎな大都会の人口を分散させる政治を考える、大きな転換の時代に立っているような気がしました。平成が終わる今だから、考えていきたいと思います。


Re: 平成30年7月豪雨 - e-kon(管理人)

2018/07/19 (Thu) 20:16:09

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

こちらは幸い大雨による被害はありませんでしたが、「何十年に一度の」や「観測史上初の」ということばが珍しいと感じなくなるような最近の異常気象ぶりを思うと、これから何が起こっても不思議ではないのかもしれませんね。竜巻被害が日本で起こるなんてことも、一昔前にはありませんでしたし・・。今までの常識では考えられない自然の暴れっぷりを見ると、大きな災害が普通に起こってしまう時代になってきたということなのでしょうか。

テレビなどで被災地の映像を見ていますと、さほど急でもなく、高くもないような山から土石流が発生しているのが気になります。そしてその大きくえぐれた山肌に多く見られるのが、植林された杉や檜などの針葉樹。もちろん調査したわけではなく、統計などをとって調べているわけではありません。それらが目につくのは日本の山の多くが針葉樹の植林がされているからかもしれません。ただよく知られているように、そういった杉や檜は根が浅く、大量の水を含んだ時に大変脆く、弱い山肌を作ります。そこに、これまでとは姿を変えた自然が襲いかかる。大量の水を貯められない山の下に、これもまた造成で盛られた地面に建ち並ぶ住宅。大雨に大変弱い環境の中で、たくさんの人々の生活があるということになります。それまでは大丈夫だったという基準、それを平気で上回る自然の変化が起きているということは、我々もこれまでの認識を変えていかなければならないのでしょう。

昭和の30〜40年頃を境に、日本の山は大きく変わってゆきました。薪炭生産で食べていけなくなった林業が将来のためにと、広葉樹にかわって杉檜などの針葉樹をどんどん植林していきました。ところが安価な輸入木材が入ってくることでその夢は儚く消え、今や木を切れば切るほど赤字になるというほど国内の林業はどんどん衰退し、手入れのされなくなった山々も全国各地で普通に見られます。山から人が去り、山は荒れ、そういった山は川を変え、海までも変えてしまう。それに加え、自然の変化に大変弱い環境を作り、そこに生活する人たちを脅かすことにもなってしまった。

人々が生きていけない危険な山、自然界を変えてしまう山へと変貌させてしまったのは、林業を営んでいた個人ではなく、そういう舵取りをしてきた国の失敗によるものです。「植林されてきたこういった針葉樹が枯れてゆくのがあと〜十年。そうすれば山は自然に変わってゆく」などということばを聞いたことがあります。行政も手がつけられない、そういう状態を表すなんとも虚しい言葉と感じました。
日本は大半が山の国です。もっと山を大切に育てようという発想はないのでしょうか。そこで多くの人々が仕事をし、多くの生活があったことを忘れてはいけないと思います。

など、いつも同じようなことばかり書いてしまっていますね。

こうして掲示板に書き込みをしていただいたり、更新をしていなくてもサイトを覗きにきていただいたりなど、応援いただいている方々には、心より感謝しております。ありがとうございます。

田舎の家 - kotaro

2018/06/06 (Wed) 16:25:14

こんにちは。
今日から関西も梅雨に入ったらしいです。
時々Facebookの方では失礼いたしています。
3月以来の書き込みをします。
何のことを書こうというテーマも最近はありません。
いよいよ田舎の家が駄目になり、賃貸に出していたことが限界になりました。
父の最後の遺産も、亡くなって24年が経ち、10年近く人に貸したりしていましたが、終わりが来たようです。
私も良い年になってきました。1年と1ヶ月で還暦を迎えます。
先月から違う仕事を始めたり、その間の収入の少なさ等で、非常に苦しい昨今です。
50才で会社を辞めてから、いろいろなことに取り組みました。
社会的な活動もやってきました。その縁が出来て、きょうも6時から夜学の校長みたいな
仕事に向かいます。
希望とか、野心は元々無いのですが、いろんなことを考えて来て、この齢まで生きてきました。
気がつけば、親の元で暮らした日々の親族はいなくなり、
こちらで所帯を構えた時の家族も、皆んな出て行き、一人で暮らすことにやや疲れております。
60から先は、九州に戻れるか判りませんが、また明るい気持ちの話題が書けるように、頑張ってみましょう。
失礼いたします。


Re: 田舎の家 - e-kon(管理人)

2018/06/07 (Thu) 23:01:02

こんばんは、kotaro さま
facebook、いつも拝見させていただいております。

私たちの世代は、60年代、70年代という、非常に変化のある面白い時代を生きてきました。ただ自分の場合は、その時代を生きてきたというのに、せっかくの資産が何もなく、逆に今になってその頃を想像しながら振り返るということをしております。一方kotaroさんは、その頃の資産(写真)多く残し、またファインダーを通して見、消化してきてこられたという、何物にも変えがたい財産をお持ちだと感じています。そして、それらの資産を今も生かしながら動かれているのは素晴らしいことです。人にはそれぞれ、様々な生き方があると思います。自分自身は、人生の逆算で今の自分にできること、年代に応じてそれらのことを考えて動いていきたいなど考えています。

facebookで公開されていた、添付いただいた写真のお宅でのご家族の写真、それを拝見した時、なんとも言えない感動を感じました。時代を感じるとともに、その頃の家族愛と、それが過去のものとなっていることの寂しさを自分に置き換えたのだと思います。自分自身、両親が亡くなってもうだいぶとなりますが、そういった子どもの頃の写真を見ようという気が、なかなか起こりません。今回、kotaroさんの写真を通して、間接的に自分のその頃を見たような気がします。

九州のご実家、どうか大事になさってください。故郷のない自分のような人間には、羨ましい限りです。

いつも訳のわからないことばかりお返事してしまい。申し訳ございません。これからもfacebook、楽しみにしております。

我が家の庭のシャガ - 躑躅

2018/04/19 (Thu) 11:53:47

団塊世代の私は、ついに70才になりました。
また、昨年暮れに脊柱管狭窄症の手術を受けました。20年前の頸椎に続いて、今回は腰でした。
痛みは消えたが、歩行が以前より悪くなった様に思えます。

そんなことで、気分が鬱々としています。しかし季節はお構いなく、開放感あふれる春になりました。

写真は、故郷の山から移植した「シャガ」です。ほんの数株持ってきたのが、30年の時間を経て すっかり繁茂しました。

シャガの花には、心に秘めた哀しい記憶があります。
小学生の頃、子のいない親の元に養子に出ていたことがありました。
3才で母を亡くした私は、母親ができると喜んでいたのですが、家族から離されて“独り”になる寂しさを想像できませんでした。

GWが始まる頃、学校の休みを利用して里帰りしました。
故郷の山里は、新緑のすがすがしい季節。山の斜面一面に咲く 薄紫色のシャガの花を見たとき、子ども心に ここが自分の生まれた所だと、強く思いました。

2年目になって、戸籍をそのままに実家で生活することになりました。
しかし結局、父親に迷惑をかけ 養父母を悲しませて、離縁となりました。

子どもの頃の記憶は、いくつになっても消えません。
シャガは、道端・崖・林床・日本庭園・・・いろいろな場所に生えている ありふれた植物ですが、私には特別に思えて、このように庭に植え 花が咲く毎年の春を楽しんでいます。

Re: 我が家の庭のシャガ - e-kon(管理人)

2018/04/20 (Fri) 21:02:47

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

躑躅様にとってのシャガは、幼い頃の切なさ、悲しさ、それと大切なふるさとへの思いの象徴であるのでしょうか。私が、シャガを意識して見るようになったのは、多賀町の芹谷でした。山の斜面一面に咲き誇るシャガを、向かいの山の林道から見た時、「あれ、全部シャガ?」という驚きと感動でいっぱいでした。そして、その映像は今も鮮明に残っています。甲頭倉か屏風か、どちらかの集落に向かう道の斜面だったと思います。それ以降、季節になると道に咲くシャガの風景を見に行ったものです。

多賀町の山間部には、よく足を運んでいます。どの谷からも、それぞれの美しさを感じます。またそれと同時に、今の社会の中で、そこにある村々の今後のたどる道を考えると、何ともいえない切なさや寂しさも感じます。こういうシャガの風景もあるんだなと、お話をうかがって感じました。谷に咲くシャガを見た時には、また違ったシャガを感じられるように思います。

手術を受けられたとのこと。どうか、ご無理をなさらぬよう、1日も早いご快復を願っております。

Re: 我が家の庭のシャガ - 躑躅

2018/04/21 (Sat) 08:32:41

e-kon様 いつも優しいお言葉を頂戴し、ありがとうございます。

山の斜面一面に咲くシャガの花は、誰もが感動するもののようですね。私の場合、それが生まれ育った土地なので、思い入れが強いようです。

廃村・廃墟のブームがあるようです。
訪れた人は、その場所の過去(人々の暮らし、出来事)を想像するのでしょうが、「思い」も想像して欲しいと考えます。
人は暮らしの中で、喜怒哀楽の感情「思い」を持って生活しています。また、その土地を離れた人間が、私のようにいつまでもその「思い」を持ち続けていることも、気付いて欲しい。

今では廃村となった村で生まれ育った人たちが、その思いを語らないまま やがて死に絶えて行きます。
そして、都会生活の“便利・快適”が最高だと信じている人には想像ができない、軸の異なる価値を持った暮らしが忘れ去られるでしょう。

限界集落と呼ばれる村から「離村」という悲しい決断をしなければならない人たちが、現在も沢山います。生きていくためには、それも仕方がないと思うしかありません。

生業が得られない土地で、人は生きていけません。一時 悲しいが、人は慣れるものです。
どこであっても、生きて行けます。そして季節が繰り返します。

Re: 我が家の庭のシャガ - e-kon(管理人)

2018/04/22 (Sun) 04:47:25

おはよいうございます、躑躅 様

今の廃墟・廃村ブームと「思い」のお話、まさにおっしゃられる通りだと思います。テレビ番組でも、面白おかしく過疎地や廃村などが取り上げられていますね。そこには住んでいる人の思いより、どこか上から目線で小馬鹿にする都会人目線で作られているのが不快に感じることも少なくありません。おふざけの探検感覚で行くレポーターの姿は、まるでおバカな動画サイトと同次元に見えて来ます。「許可を得てるからいいじゃないか」というものでもないように思うのですが、ブームとはそんなものなのかもしれませんね。

見せる側は「何を伝えたいのか」、見る側は「何を感じ、何を読み取るのか」など大事だと感じています。

ところで、昨日は多賀町の大杉という集落に行ってまいりました。写真は、その道沿いに咲くシャガの花です。開放で撮影しているので、周囲がボケてしまっていますが、控えめに咲くシャガも美しかったです。このあたりの谷に訪れることはほとんど無かったのですが、行ってみると様々な魅力に満ちており、今後も訪問機会が増えそうです。

Re: 我が家の庭のシャガ - 躑躅

2018/04/22 (Sun) 08:47:42

e-kon様 早速の御返信ありがとうございます。

昨日 大杉へ行かれたとのこと。シャガが写った写真は、その土地の雰囲気が良く感じ取れました。

大杉・・懐かしい、同級生 K・M・Yがいて、子どもの頃よく遊びに行きました。そして、お医者さんに診てもらうためにも。
坂を上ったところに「大杉醫院」があります。医学博士、町議会議長を務めた(50年以上前の話)先生が開業しておられた。
現在は無住になっていますが、そこのモミジの紅葉が素晴らしいようです。(自転車や歩いて行った子どもの頃と違い、あの細い道を車で走るのが恐怖で、出かけたことはありません。)

犬上川南流・北流は、芹谷とは異なり谷がそれなりの広さを持つので、明るくて人の生活が感じられたのでないでしょうか。
これからも訪問していただけるのであれば、ネットの「多賀町史編纂を考える委員会」ブログや「愛しきものたち」大杉集落が参考になると思います。お薦めします。

Re: 我が家の庭のシャガ - e-kon(管理人)

2018/04/24 (Tue) 01:08:13

こんばんは、躑躅 様

大杉にはよく行かれていたんですね。その頃の大杉を、実際の生活の中で感じられていたことを羨ましく思います。今とは違った、子どもたちの活気ある集落だったんでしょうね。あの大杉医院にも診てもらっていたとは・・!あのあたりに病院はなかったので、他の集落からもたくさん診察に来られていた、というお話はうかがっていましたが、躑躅様もその中のお一人だったとは

「多賀町史編纂を考える委員会」のブログもご覧いただいているんですね。ありがとうございます。実はあの記事は私が書いたものです。ご縁あって、数年前より「多賀町史編纂を考える委員会」の委員をさせていただいておりました。写真は、その時の聞き取り調査の数日後に訪れた、大杉医院あたりの写真です。あちらも、あまり更新できておりませんが、これからも、よろしくお願いします

遅い春 - kotaro

2018/03/16 (Fri) 08:06:05

3月雨の朝になりました。
この冬は、11月中頃から急に冷え始めて、12月、1月、2月と寒さの緩むときがなく、本当に寒い季節が続きました。
最近、今週あたりより野菜の値段がやっと安くなり、田畑の影響が終わって、農家も春になったと感じます。
国外はアメリカと北朝鮮の外交が成立しそうな勢い。一部の事情通が言っていたように、北の3代目はブラフで絶妙な均衡外交をとり、現状肯定型の韓国の大統領を使い、冬季オリンピック舞台にあっと驚く離れ業を演じてみせました。
日本は圧力外交に加担して見せている裏で、秘策があったのかもしれませんが、1年前よりの業病だった、森友・加計学園問題がここにきて弾けてしまい、全く国際社会に存在を示すことまで手が回りません。
沖縄の基地問題も、また後戻りに帰りそうです。

全体的に見ればこの5年間は、株価好調で、企業中心に経済は順調だった方です。しかし予測を越える高齢化社会と人口減の進行で、世間は暗くなる一方。
働け働けと言われるのは男性を通り越し女性にまで。それも予備軍レベルまで言われるものですから、「保育所落ちたらおしまい」みたいな絶望感に包まれる。
次は高齢者に働けが回ってきました。
いろんなこと、全体を見渡せる人が、社会に不在で、いつまでも税収頼りの社会基盤の維持はできなくなるのは必定だと思います。
そんな世相の隅で、土曜日には久しぶりに山歩きに行ってきます。

Re: 遅い春 - e-kon(管理人)

2018/03/17 (Sat) 20:38:42

こんばんは、kotaro様
いつも、ありがとうございます

こちら滋賀県の私のうろうろする地域のこの冬、雪はそれほどではなかったものの、おっしゃられるように随分と寒さが続いたように感じます。毎年この時期は、春の植物や風景などの撮影を楽しみにしているのですが、それも、ここ少しの間でいっきに春が進んでタイミングを逃してしまいました。写真は、なんとか開花のタイミングに、たまたまかするように出合うことのできた、滋賀県多賀町の芹谷地区の集落「桃原(もばら)」の福寿草です。

ところで先日、日本のリーダーたる総理大臣の歴代の人たちの顔ぶれを、ネットで何気なく見ていたのですが、一族というか、血縁関係でのつながりのある人たちがずいぶん多いんですね。こういった人たちは一般庶民の生活とはほとんど縁のない暮らしをしてきた、エリートと呼ばれる人たち。そのことを思うと、わが国のビジョンを明確に示すことなく、定年や年金受け取り年齢をどんどん上げていこうとしてることに、妙に納得できてしまいます。何を見ているのか、どこを見ているのかを決めるのは、その人これまで生きてきた道、生き様が大きく影響することでしょう。

何に使われるかわからない税金。たとえ税率が20%や30%になっても、それが一般の人たちの生活が豊かになり、生活への不安を軽減するためのものであれば、多くの人は納得するはずです。逆にそれを納得しない人たちはどんな人たちなのか、ということを考えると、今の日本が見えてくるようにも感じます。など、いつもわけのわからないことを書いていますが、最近の自分は開き直りながら、できるだけ謙虚に生きたいなど思っています。

前にも少し書いたのですが、kotaro様は自らのドキュメンタリーを日々残されています。多数の支持を受けられているのは、そのあたりも1つあるのかな・・など感じています。これからも楽しみにしております。

Re: 遅い春 - kotaro

2018/03/19 (Mon) 10:54:07

おはようございます。ドキュメンタリというより、等身大のメディアを自分でつくり、人の反応を見て遊んでいるだけです。
ここに至るまでに、しんどい時期があり、何を言っても人の心に届かないこと。それは母の介護で亡くなっていった姉とのやりとりとか、会話では心の壁を越えられない経験もしています。
写真と文章で、効果以上の反応があると喜んでいます。
今朝はTOP画像の昔のヤツを眺めさせてもらっていました。人が生きて暮らしがあり、そこに道が作られた時代。それを末代あとの我々が見て思うことや考えたり。
今、都市の風景、住宅街。共に新陳代謝が激しく、木造アパートや住宅が取り壊されて、表情の薄い(浅い)建築に変わっていくのが、また急になりました。
こういう時間に私たちは何を見届けるのか。
e-kon様の、次のフィールド活動が見たいと、私はゆっくり願っております。

Re: 遅い春 - e-kon(管理人)

2018/03/22 (Thu) 19:12:30

こんばんは、kotaro 様

なるほど、とお話をうかがい納得しながら、どこか冷めた部分がないとこのような表現手段はなかなかできないなあ、などとも感じています。kotaro様とは、ほぼ同年代の自分ですが、表現に関しては堅苦しいものしか受け入れられず、その柔軟な発想や表現手段などは羨ましい限りです。長年の記者として表現されることを終えた後の現在の展開、これからの展開など、どうなっていかれるのか楽しみにしております。

最近、古道に関わっての調査(大げさなものではありませんが)を少ししていました。昔の道は大変わかりやすいです。目的に向かって進み、踏まれたところが道になる、一番近いルートであれば、当たり前のように危険な谷へも降りるし、急坂をまっすぐに上がったりもする。それは身軽である人間が通るものであるから。また、今のように地図なんて便利なものがかなかったから。今の道はそうはいきません。複雑です。古道の痕跡は、山間部であれば結構残されているものですが、苔むした石垣を見つめて喜ぶ姿は、あまり人には見せられない不気味な姿なのかもしれません。

>e-kon様の、次のフィールド活動が見たいと、私はゆっくり願っております。
ありがとうございます。ちょっと頭が堅くなりすぎているところを何とかせねばと思っていますが、これからも続けていきたいと思っております。変わりばえのしないものでありますが、よろしくお願いします。


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