「e-konの道をゆく」掲示板

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もう探さないでください - 躑躅

2017/11/16 (Thu) 15:03:24

一昨年の夏、「北海道長期滞在の旅」ツァーで中標津町の開陽台へ行きました。
館内のカフェで名物「はちみつソフト」を食べていると、旅行者がメッセージを書き記した付箋紙が たくさん貼ってあることに気づきました。

目の前にある1枚、今しがた書き置いたような生々しい紙に 『もう探さないでください』 とありました。
この言葉の前後に、理由だとか決意が書いてあったと思うが、それよりも、北海道の東の果ての、旅行者が多く訪れるこの場所に、(たとえ戯れであったとしても)この言葉があまりにしっくり来て、思わず笑ってしまいました。
そして、この人には 探してくれる人がいるのだな、と羨ましく思いました。

TVニュースを見ていると、北海道はもうすっかり雪の世界に入っているようです。
旅で出会った人たちは、厳しい寒さを 当然として生活しておられるのでしょう。

地球上には様々な暮らしがあります。
政治に携わる方たちには、その暮らしが守られるよう、寛容な気持ちと使命感を持って 事に当たってもらいたいものです。

Re: もう探さないでください - e-kon(管理人)

2017/11/18 (Sat) 09:55:02

おはようございます、躑躅 様
お返事が遅くなり、申し訳ございませんでした。
慌ただしい日々が続き、PCを開けない日々が続いておりました。
せっかくの紅葉の季節なのに、旅行にも出かけられず
悶々とした毎日です。

ところで標津町の開陽台、いい所ですね。
条件が良ければ、不思議な形の野付半島なども見えることでしょう。
2014年の北海道旅行から3年が過ぎ、その間、新たな情報も得たりして、訪れてみたい所は増えています。この開陽台も行ってみたいですね。

北海道旅行には最果て感を強く感じる所が多々ありますが、その独特の雰囲気の中で「何か書き記しておきたい」という気持ちが湧いてくるのは、わかるような気がします。私は書きませんでしたが、中には胸を打つようなメッセージもありました。「もう探さないでください」というメッセージ、書き主さんを探している方が読まれたら寂しいでしょうね。

北海道、道東・道北の北海道は独特のものがあります。大いに惹かれてしまいます。

写真は、尾岱沼(おだいとう)から見た野付半島と、向こうに見える国後島の羅臼山と泊山です。

「燃える秋」 の北海道へ行ってきました - 躑躅

2017/10/17 (Tue) 20:56:16

e-kon様 無沙汰をいたしております。
掲示板を覗いて驚いています。しばらく滋賀を留守にした間に、多くの書き込みがありました。
また それにご返答なされていることで、e-kon様がお元気な様子がうかがえて、安心いたしました。

私は、10月9日から15日まで北海道ニセコ長期滞在の旅に出ていました。(いつもの阪急交通社のツァーです。北海道は一度訪ねると癖になりますね。)
天候が 時雨が来たりの いま一つでしたが、“燃える秋”の素晴らしい黄葉に出会えました。北の地の広葉樹の黄葉は ふだん体験できないことから、思わず歓声を上げてしまいました。
写真は、登別温泉からニセコへ帰る途中の道路沿いの紅葉です。

どこを廻っても“紅葉の名所”ばかり。ところが ちょっと車を停めて写真を撮りたいと考えても“駐車場所”が用意されていない。行き交う車は60~80㎞の速度で走っているのだから、路上駐車は危険なため、残念と思いながら 行きすぎました。

この時期、6時になると漆黒の闇になります。国道230号線中山峠の道の駅はすでに閉まっていて、その先で(私も加わった)車列の先頭車が鹿をはねてしまいました。
現場を通り過ぎるとき、即死した鹿を見て、これが北海道なんだと、妙な感慨に陥りました。

道南・道央は、寂れた様子が感じられませんでした。中国や韓国からの旅行者が大挙して訪れています。(小樽などは、京都の有名観光地と変わらない程です。)
受け入れのためか、トイレは広くて常にきれい、温泉も清潔そのものでした。

新しい発見は、北海道産の米がおいしいことでした。
米と牛肉は近江。日頃おいしさに慣れていると思っていたのが、北海道の米を食べて、これは負けたと思いました。
蘭越や赤井川の米作地帯を走っていたら、まだ刈り取られていない稲が残っていて、丈が50㎝くらいと低く、穂も少ない、品種改良が進んだもののようでした。(ずいぶん 改良の努力がなされたのでしょう。)

北海道をドライブする爽快は、忘れられません。サロベツ原野、オホーツク海沿岸、それに斜里の“天に続く道”へも一度行ってみたいと思っています。(たぶん無理なので、e-kon様の番外編(車泊の旅)を読み返し、追体験をさせていただきます。)

Re: 「燃える秋」 の北海道へ行ってきました - e-kon(管理人)

2017/10/18 (Wed) 07:16:01

おはようございます、躑躅 様
ご心配いただき、ありがとうございます。体調は悪くないのですが、何かと慌ただしく、更新がおろそかになってしまっています。まだまだ続ける気でおりますので、よろしくお願いします。

北海道に行かれていたのですね。とても羨ましく思います。特にこの季節は美しかったことでしょうね。道南・道央はほとんど通り過ぎるだけだったのですが、そちらも魅力的な所がたくさんあることと思います。北海道の山は、こちらの植林された杉や檜の緑の山とは全く違った山の光景を見ることができ、大変魅力的です。今の時期、紅葉は絶景だったことでしょう。私が訪れていたのもちょうど今頃。この時期なのに、朝方は0度にまで気温が下がり、シュラフに頭まで突っ込んで寝ていたのを思い出します。

北海道の米、残念ながらコンビニ弁当がほとんどでしたので味わうことはできませんでしたが、次回行ける時はもう少し食にも贅沢してみたいと思います。グルメではありませんが、そこでしか味わえない食にはふれてみたいものです。

何かと慌ただしく、長い間旅に出ていませんが、ちまちまと準備だけはしています。旅に出た際は、またブログでも報告させていただきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

写真は2014年のちょうど10月18日に訪れた十勝三殳からの風景です。

ことし - kotaro

2017/10/17 (Tue) 05:15:27

e-kon様こんばんは
少し早いけれど、もう寒さを覚える時期になりましたので、深夜に今年を回顧したりしています。
私は7月で仕事を一旦辞めて、8月に長い旅をしました。今も旅は可能ですが、資金と気力がなく諦めています。
久々の長期旅行は、真夏ゆえ苦しくも面白かったです。発見はこの齢でもあるし、それが学術や著述でなくても、自分自身のためにあるのだと思います。
自分の人生もあと僅かかもしれませんし、10年後も旅をしているかもしれない。
今twitterで、バイクライダーの加曽利隆さんという人が、還暦どころか70歳で日本一周を連日続けて、絶え間なく行動をアップされています。
その行動力に、やはり頭が下がります。一昨日は雨の夜の峠を越えて、東京近郊といっても大変でしょう。夜半に帰宅するシーンは胸を打ちました。
一日と一生、何歳まで生きるか。そんなことを普段考えても仕方ありませんが、生きることは瞬間の連続です。定年前で、もやもやする人生も多いですし、私も還暦2年前でまた足踏み中です。
ただ加曽利さんの行動には勇気をもらえます。そして単純だけど地方の未踏の地へのあこがれ。温泉と食べ物、毎日その繰り返しで旅を続ける意味。旅への誘いももらえます。
それは遥か昔に、道を拓いた旅人への憧れと敬意のように思えました。
今年はもう残り2ヶ月半を切りました。来年への夢も見えませんが、毎日を大切に生きていたいものです。

Re: ことし - e-kon(管理人)

2017/10/18 (Wed) 06:10:16

おはようございます、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。
なんだか冷え込みが激しい今年の秋ですね。

加曽利隆さんのブログを拝見しました。70歳で日本一周されてるんですね。これまでの積み上げがあるとはいえ、衰えずますます湧き上がる気力は見事です。資金に制限がかかってしまうのは仕方ない面がありますが、年齢という数字に制限をかけるかかけないかは自分次第、ということを改めて感じます。
こういった長期旅などをされている方に対し「時間と暇があるからできるんだよなー」的なことばを投げかける人が少なくありませんが、そういう人は同じ条件になったとしても決して行動には移されないでしょう。資金と気力と好奇心はいつまでも失いたくないなど思っていますが、資金はなかなか貯まりません・・

北海道の自然の美しさと、退廃的な美しさ、人の築いた歴史とその残骸のようなものの対比、そこから見えてくる歴史、そして今も生きる人々の思い、それらに惹かれるものを感じ虜になっている自分があります。数年後にはもう一度長期で周って、かつての訪問地の変化など見てみたい、など思いながら日々のもやもやと押し合いへし合いしています。

kotaro様のfacebookはご自身の記録であり、ご自身が主人公の物語でもあるように感じています。これからも楽しみにしております。写真は琵琶湖近く、大中という所の朝の田園風景です。


- お

2017/10/08 (Sun) 20:57:04

管理人さん、こんばんは。
ご無沙汰しておりましたが、おかわりありませてでしょうか。
さっそくですが情報です。
現在、境川ダム湖の水位が下がって、桂集落跡を歩く事が出来ます。
今日、私も初めて桂に足跡を残してきました。
もしお時間があれば、管理人さんもいかがでしょうか。

ブログの方は、時々拝見しに伺うのですが、しばらく更新されておられないようですね。
もしよければ、無理のない範囲で続けていただければ嬉しいです。

Re: 桂 - e-kon(管理人)

2017/10/10 (Tue) 00:09:48

こんばんは、お 様
ご無沙汰しております。

桂集落跡、歩かれたんですね。10年ほど前に加須良、桂のことを集中的に調べ、現地でご出身の方にお話を伺ったこともあり、大変懐かしく感じています。その時もちょうど水位が下がっており、集落跡を少し歩くことができました。それらの取材が諸事情で発表に至っていないのがとても残念なのですが・・。紅葉も美しい所です、久しぶりにぜひとも行ってみたいものです。

最近、桂から加須良への林道が舗装されたとかで気になっています。グーグルマップを見ると舗装され、それが加須良集落からさらに延びているようにも見えます。R156からの廃道の復活??有名な大企業が、以前にもあのあたりの開発を計画していたと聞いたことがありますが、それと関連しているのでしたら大がかりなものになるのかもしれません。気になるところです。

更新の滞っているサイト・ブログですが、落ち着いたらぜひとも更新したいと思っています。これからも、よろしくお願いいたします。

Re: 桂 - お

2017/10/10 (Tue) 08:09:14

おはようございます。
集落跡は谷間の中心部に近いところが徐々に削られてきているように思いました。
ただ、石垣などは健在でした。
加須良への道、確かにグーグルで見ると舗装されていますね。
今回、加須良へも行こうと思っていたんですが、境橋の先で導水路のトンネル工事を行っており、車はオートキャンプ場までしか入れませんでした。徒歩だと橋のところまではいけるのですが…
詳しい工事内容は確認してこなかったのですが、工事が終了したら、加須良には行けるのかなと希望的観測は持って帰ってきました。

Re: 桂 - e-kon(管理人)

2017/10/11 (Wed) 20:14:25

こんばんは、お 様
情報いただき、ありがとうございました。

なにか周辺の環境が大きく変わっていきそうな感じですね。それまでの用途から思うと、この道が舗装されるなんてことは思ってもみませんでした。

以前、加須良集落跡の河原から見た紅葉は、それは見事なものでした。あの美しい風景が変わることはないと思いますが、もう一度秋に訪れて見たいものです。
写真は2012年の秋に訪れた時のものですが、この時はまだ紅葉には早く、残念ながら燃えるような紅葉に出合うことはできませんでした。

10月 - kotaro

2017/10/08 (Sun) 10:56:35

早いもので月も代わって2週目になりました。
私は8月に常勤を辞めて週中のアルバイト暮らしで、次の奮起ができるのか、模索の最中です。
選挙の月になり、もう大所高所で政策を論じる気持ちはありませんが、日本は不安の中で迷いの多い時代が続いています。
旅行後の私は遠出を一切止めて、近場の町歩きに活路を見出しています。ガイド役に近年は優秀な方が現れて、歴史を地層的に掘り下げ比較文化も語り、これまでの高齢者層相手の町歩きから、ちょっとカジュアルな娯楽〜知的暇つぶし、に昇華しつつあると思います。

近江地方のことですが、湖東の歴史が注目されつつあるようです。三成の再評価あたりから始まり、近江平野の多様性と管理人様の得意な山間部。木地師の歴史などにも何度か光が当てられていますが、もう一度研究熱が高まり、来月には竜王町を歩くツアー企画が進んでいます。
このページに時々来ると、北海道の衰退し切った交通と人びとの暮らしとか、無性に書きたくもなりますが、止めておきましょう。

ただ、私の書いている記事には興味を持ってくれる人もおり、先日はカタールから帰国してわざわざ会いにきて下さった鉄道史の好きな方が来られ、驚きましたが光栄に思いました。
大阪に来たのは70年の万博以来だそうです。写真は5年くらい前の瀬戸内の島の風景です。現像は自分でこなしています。

Re: 10月 - e-kon(管理人)

2017/10/09 (Mon) 23:35:41

こんばんは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

早いですね、もう10月です。夏の印象がほとんどなく秋に来てしまった、そんな感じで過ぎてきました。この調子でいくと、今年もあっという間に終わってしまいそうです。何かと慌ただしく、好きな旅行には出かけられていませんが、これも原因を探ると、自分が単に不精なだけ、そのようにも感じています。kotaro様の行動力を見習わなければ・・など感じる次第です。

瀬戸内の島ですか、いいですね。ひたすら山間部や北海道などに興味関心が向かう自分ですが、九州の椎葉村、四国徳島の大歩危小歩危とともに瀬戸内の島々はいつかゆっくりと訪れてみたい所でもあります。現在、滋賀県の多賀町とご縁があって「五僧越え(島津越え)」の道について調べているのですが、これが落ち着いたら好きな旅にも出かけられるかな、など思っています。

竜王町を歩くツアーが企画されているんですね。竜王町は自宅から結構近いのですが、地元も含め近隣の地域の歴史にはなぜか疎く、これまでも調べる機会がほとんどありませんでした。そういえば先日、竜王町の苗村神社という所にいってきました。大変歴史古い神社で、渡来人の天之日槍とゆかりのある神社としても有名です。写真は国宝で有名な西本殿ではない方の、東本宮の東本殿です。

奥出雲の民家 - kotaro

2017/08/13 (Sun) 22:58:45

こんばんは。8月3日の夜から1週間以上の旅行に出ていました。
特に目的は薄く、行った先は、昔訪ねた場所であったり、自身のルーツを訪ねたりでした。
その中で、久しぶりに島根県の奥地で、木次線の亀嵩駅付近を抜けて、安来に到るルートを30年ぶりに走りました。
安来の手前にある広瀬と言う場所も訪ねたかったのですが、比田という場所に行きたかったです。
須藤鐘一という殆ど知られていない昔の作家の本が手元に長くあり、この人の出身地を見たかったからです。
亀嵩から比田、広瀬に至る道は、たたら製鉄の跡がいくつか残っており、広瀬は尼子の月山城で知られますが、中国広範囲を支配したバックは、製鉄技術ではと思いました。
須藤鐘一に関しては、地元でも研究が少なく、私が持つ本は後年、三越宣伝部に勤めていた頃のものです。
写真の民家は、塀はないのですが堀があり鯉が泳ぎ、水辺の花が咲いて見事でした。
いくつかの別棟は何に使われたのか。蔵は奥に建っていました。
こういう独特の建築を見ると、元は何を稼業だったのか気になります。
一瞬で走り抜けた旅でしたが、今は心に残った風景を整理しているところです。
よきお盆をお過ごしください。

Re: 奥出雲の民家 - e-kon(管理人)

2017/08/14 (Mon) 19:24:00

こんばんは、kotaro様
書き込み、ならびに写真をありがとうございます。

よい旅をおすごしになられたんですね。拝見させていただいて、年齢とともに旅も大きく変わる、そのように感じたりしていました。
そういえば自分の場合でも、同じ所を訪れても、若い時に訪れた時とは全く違ったものを見ていたり、同じものを見ても違うことを感じたり、また同じ人と出会ってもそのえらい変わりように驚いたり、年齢を重ねるともうお出会いできない存在になっていたりなど感じるとともに、自分も変わっているのだろうなぁなど思ったり・・、なんだかそれにより自ずと旅のペースも変わっていたように思います。
旅は日頃出会えないものを見る刺激から、いろんなものを見、感じているのでしょうね。それにより、自分を見つめ直して見たりとか・・そういえば長らく旅に出ていません。旅に出て体を浄化させたい、そのように思っています。
kotaro様も長い旅でお疲れのことと思います。ゆっくり体をお休めください。

添付の写真は旅とは関係ありませんが、先日訪れた「島津越え(五僧越え/滋賀県犬上郡多賀町)」の道にある地蔵堂です。歴史ある道で、関ヶ原の合戦で鹿児島の島津藩が徳川陣を中央突破した後に通ったともいわれている道です。今でも郷土の英雄を讃え、夏には地元鹿児島から関ヶ原踏破隊がやってきます。その様子を撮影しようと訪れたのですが、日を間違ってしまったためか出会えませんでした。写真の大きな杉は薩摩杉と呼ばれており、後に薩摩藩から送られたものが成長したもの、そう伝えられています。

Re: 奥出雲の民家 - kotaro

2017/08/16 (Wed) 10:58:40

e-kon様、返信ありがとうございます。
Facebook内の投稿も読んで頂き、感謝いたします。
来年で明治維新150年に当たり、この所もう一度、近代を回顧しようという動きも多いです。
黒船来航から始まった日本の近代化は、ちょうど50年前の頃は、切手ブームもあり、修交通商条約などの100周年切手が次々と発行されて、小学生後半の私には、よい勉強になりました。

その頃の我家は、父が製鉄所の技術者で、そのお陰で生活が出来、高校と大学まで苦労もせずに進めました。
今回の産業の歴史紀行を通じて、感慨深い体験になりました。

鉄道の開通で、山陰の山奥の青年が、東京の大学に進み、小説を書いて、後の世の私がこれを読み感慨する。これも面白い回顧の旅に繋がりました。

私は次の仕事を探して、最後の生業になればと希望もあります。いま、漠然と、来し方の150年が近代の始まりから終わり、この後の150年間くらいを悪い頭なりに予測して、土台のとっかかりくらいは構築していけないか。
暑い夏に、疲れを癒してから、秋に向いたいと思います。
ところで管理人さまは、URLの機能などを使って、Facebook等の連動は、考えてはおられないのでしょうか。
失礼いたします。

Re: 奥出雲の民家 - e-kon(管理人)

2017/08/17 (Thu) 21:43:42

こちらこそ、掲示板に書き込みいただき、ありがとうございます。
もう1年近く動いていない当サイトですが、唯一掲示板だけが微かにうごいている状況で、こうして動かしていただいてることに感謝しております。

面白いですね。なにか日頃にない動きをすることから得る刺激は、いろいろなこれまでの記憶や経験をかき混ぜてくれて、それがまた思わぬ展開を見せる。旅はそういったことの最高の手段の一つなのかもしれません。毎日変わらぬ生活が続くと、心が淀んでいくのが自分でもよくわかります。そういえばサイトもすっかり淀んでしまっています。それでも毎日訪れてくれる方たちがいてくれるのは、本当にありがたいことです。

>ところで管理人さまは、URLの機能などを使って、
>Facebook等の連動は、考えてはおられないのでしょうか。
Facebookを始めてはみたものの、無精者の私には、使い方はもちろんですが活用の仕方なども今ひとつ理解していない状況にあります。操作的なことより、気持ち的なことなのかもしれません。Facebookにサイトやブログ、関係しているいくつかのURLは載せてはいるのですが、肝心のFacebookが活用できていないためあまり意味のあるものとはなっていません。上手に道具として使えるといいのですが・・。

さまざま蓄積を持たれ、様々な活動をされてきた kotaro様が、この先どのような展開をされようとしているのか、楽しみにしています。こちらもひと段落がつきましたら、サイトの更新をしていきたいと思っています。

写真は鈴鹿の山中の岐阜と滋賀の県境、五僧峠という所から見た岐阜県側の風景です。ほんの最近まで岐阜から峠までは歩くしか術はなかったのですが、今では立派な林道がつけられています、画面中央少し下に、その道があります。

Re: 奥出雲の民家 - kotaro

2017/08/22 (Tue) 08:37:42

こんにちは。まだまだ残暑が続きます。
返信になりますが、私はブログ社会の消長を見て来て、自分も数年前まで毎日熱心に書いて来ました。
そろそろ終わりなのか、壁に当たった事例を見ることが多いです。決してこちらのページの批評ではありません。
SNSは抵抗がありました。自分の都合の良い書き方で表現し、見せることは、メディアにいた人間として、これはジャーナルではないだろうと。
今は宣伝と記事の境がありません。
長年培って来た方法論が崩れ、一番惨憺たる媒体が雑誌です。新書みたいに広告のないメディアは、まだ活発です。
新聞は苦しみつつ、存続に活路でしょう。

次に来るネット情報表現が確立されれば、SNSも退潮になると思います。
ただgoogleが出て来た時から、雲や海のようにお金が付いて、これが経済に影響し、情報が取捨される理由の最もが、金になるか、なのだと思います。
米トランプ大統領の誕生も、従来型政治論から、新体制が勝ってしまっただけで、歴史が覆った訳ではないと思います。
この辺の見極めが、実に危うく影響され易い。ただ我らもインターネット頼りの交際です。
私は眼で見て来た事実しか信じません。現場主義は時代が発達しても、裏切ることはないでしょう。
e-kon様の奥地への探訪は、近頃多い好奇心に野心が着いた物でなく、純粋な好奇心と思索だと思います。
自信を持たれてください。

Re: 奥出雲の民家 - e-kon(管理人)

2017/08/24 (Thu) 01:25:38

こんばんは、kotaro さま
お気遣いいただき、ありがとうございます。

そういえば、このサイトを始めてもう10数年、途中からは「たまに一言」というコーナーがメインになり、まとまりなく書きつづりながら今に至っています。更新は甚だ停滞しているのですが、幸い興味関心は尽きることなく、山村を訪ね歩く日々が続いています。「(お前に)野心がもう少しあれば・・」などと言われたことも何度かありますが、そうなってしまうとたぶん嫌になってしまっていたことでしょう。そういった甘さで、続いてきているのだと思います。

>私は眼で見て来た事実しか信じません。
>現場主義は時代が発達しても、裏切ることはないでしょう。
長らくプロの物書きをされてきた方ならではの、いいことばですね。その通りだと感じます。

写真は鈴鹿山中の山の集落「杉」の茅葺家屋です。残念ながら、もうだいぶ前に倒壊してしまいました。

- kotaro

2017/07/12 (Wed) 04:01:07

暑くなりましたね。
イタリア語でストラーダ。今夜は道について考えています。
よく「道を間違える」と言います。道はなんのためにあるのかと言うと、二つ以上の地点を結び、お互いの行き来を行うためのものでしょう。
ところが人生とか、政治や、学究の取り組みはじめ、人が生きて行く時にも、よく、道を間違えていないか、と聞かれることがあります。
これは後戻りの出来ない道のように思われ、ひとは時に、それに気付いて「はっ」とします。
今はよく言われるのが、日本が戦争前までに歩んでいった一連の経過。「いつか来た道」です。

今夜は政治のことを取り上げる積もりはあまりありません。しかし現総理の政治が最近、混乱し始めたように見えてきました。
「おや?」と思うことは、道を歩いていて、しょっ中考えることです。
写真の風景は1990年、真夏に撮影した島原半島の裏、千々石あたりを戦前に、海の高い所を走っていた幻の鉄道の跡です。
気がつくと私も随分いろいろな道を歩いて来ました。
これで良かったのかと、迷ったり振り返ったり。でも道はどこかに出られると思うから、前に進めるような気もいたします。

Re: 道 - e-kon(管理人)

2017/07/13 (Thu) 00:26:58

こんばんは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございました。
ここのところ大変蒸し暑い日が続いていますね。

おっしゃられるように、道は二つ以上の地点を結び、お互いの行き来を行うためのもの。それは目的地点があって、それに向かって造られたもの、もしくは目的地に向かう多くの人がいることで、踏まれていく中で道の形態を成していったもの、様々な場合があることでしょう。でもその役割を終えたり、間に障害物ができたりなどすると、自然消滅的に道は消えていきます。

最近、明治の頃の古道を調べる機会が結構あるのですが、山間部においては今よりはるかに多い道が、集落間ではりめぐらされていました。それは集落同士を行き来する必要があったり、はるか遠い目的地に向かうために集落感をつなぎながら延びていったり、などで存在していたもの。そういった消えていった道を探っていくと、その地の辿ってきた歴史が見えてきたりして、なかなか興味深いものです。

目的が見えていて、それが納得できるような道であれば、歩むしんどさも造る困難さも我慢できるのでしょうが、目的が見えず、誰のために何のために進んでいるのかわからないような道を歩むのは、なかなか辛いものがあります。そういった時に少し振り返ってみる余裕があれば、過去の過ちが見えて多くのことを学べるのに、などよく感じることです。

添付いただいた写真に写っているのは、プラットホームでしょうか。廃線跡を大規模な自転車専用道路にしたものの、根本的に人が少ないため利用者もなく、荒れ果ててしまっている自転車道(廃線跡)を北海道の旅で何度か目にしました。その時、地元でできるのは自転車道を造るまで。人がいなくなった中ではそれ以上なす術もなく、ただ疲れ横たわる地方の実態が見えてきたように感じました。

写真は廃線となった天北線の浅茅野駅跡です。

Re: 道 - kotaro

2017/07/16 (Sun) 10:17:08

天北線は現役時代に二度乗車しています。
この写真はカラーです。1980年9月1日に、今はなき興浜南線、宗谷バス、北線と乗り継ぎ、浜頓別から稚内まで乗りました。終着の時間にはどっぷり夜の闇の中でした。
浅茅野付近で夏のオホーツクの日没と、横たわる原野に鬼気迫る思いをしながら、不思議な光景に魅入られていました。
写真に一枚納めましたが、光量が落ちており、カラー粒子ではこんな発色しか撮れませんでした。
しかし、私の印象は、こんなモノクロームに近い風景だったかもしれません。
僅かな光芒が海に沈んで行く水平線と、狼の出そうな原野と、それは凄まじいというのが正しいのか、美しいとさえ思われた記憶の車窓でした。

Re: 道 - e-kon(管理人)

2017/07/17 (Mon) 12:33:39

現役の頃の風景をご覧になられているのは、本当に羨ましい限りです。

北海道をさまよっている時に網走〜宗谷間もウロウロし、興浜北線、興浜南線、名寄本線の廃線跡を少し見てまわったのですが、この原野によくぞこのような鉄路を…など思ったものです。待望の鉄道!などと脚光を浴びた時期が間違いなくあったと思いますが、今また原野に還っていくこれらの風景を見ても、「役目を終えた」などと感じることはできません。遺構が何を伝えるのか、これを理解したいものです。

写真は、興部の少し南の原野に流れる藻興部川に架かっていた橋梁(名寄本線)の遺構です。

文月 - kotaro

2017/07/02 (Sun) 04:09:45

いつの間にか半年が終わり、半夏生の余韻に浸っています。
管理人さまは、山歩きは続けておられますか。私は5月に、能勢の奥地の歌垣山に、単独で登ってきて、月末の週には、親族と大江山と丹後半島の旅をしました。

それから一ヶ月以上が過ぎて、暑くなってくると何も出来ず、家の中にはまだ冬の道具が出ている始末です。
文章を書いたり、精神的に整頓した気持ちに浸れるのは、相変わらず休日前の真夜中くらい。
しかし今年は、相変わらずのネット往来で、意外なところから接点の出来た人に、教授してもらえたりと、幸福も感じています。
ネットが出来るまでは、人びとの出合いは「まれ」でした。稀な出合いをいかに活かすかで、名刺交換したり、人類はツールをつくってきました。
本サイトの主眼は道に関することですが、私はそこに自分の情報をいかに混ぜて見せるかを、ネットの時代以降に楽しんだり、工夫しています。
話題が遊飛しましたが、そんなところにも、社会を見ていく一つの例えがあるのではないかと、思っております。
写真は歌垣山の麓に残る大きな民家です。

Re: 文月 - e-kon(管理人)

2017/07/03 (Mon) 23:25:01

こんばんは、kotaro様
書き込みいただき、ありがとうございます。

精力的な活動や情報発信、拝見させていただいております。kotaro様のされる日々の更新に多くの人たちが反応されているのも、その文章や写真、題材等に惹かれる部分が多々あるからなのでしょう。肩の力を抜いた日常だけでなく、ご自身のこともそのまま包み隠さず発信する。そのことに驚きながらも共感を感じる人も少なくないことと思います。

こちらは、時間は以前より随分とれなくなったとはいえ、変わらず山歩き(山村巡り)は続けております。ただ情報発信となると妙に構えてしまうようになって、サイトの更新も滞ってしまっています。生まれながらの無精者なのですが、これまでやってきたことのまとめはどこかでしなければ、など感じています。

添付いただいた老家屋の写真、脚立が見えますね。持ち主の方は様々な手入れをされていたことでしょう。今の時代、こういった家屋で人生の多くをすごした方は高齢化が進んだり、既に人生に終止符を打たれていたりなどで、そこでわずかな幼少期を過ごした、もしくは父母の実家として遊びに行ったという世代へと家主の世代交代が進んでいます。

その新しい世代の人たちにとって、こういった老家屋が残されていることが負担になっているという話もよく聞きます。修繕するには莫大な費用がかかるし、もちろん修繕しても住むわけにはいかない。といって、解体するにも多くの費用を要する・・。
歴史を伝える貴重な老家屋も、個人単位で考えると負担の大きな負の遺産でしかない、そういう場合もあるようです。

写真の家屋は、滋賀県の多賀町にあった老家屋です。もう今は朽ち果て倒壊し、その姿を見ることはできません。

Re: 文月 - 躑躅

2017/07/04 (Tue) 08:16:47

kotaro様、e-kon様、横から入り ご無礼いたします。

滋賀県多賀町にあった家屋の写真を見て、つい 知ったかぶりが発揮したくなりました。

屋根は能勢の家屋と同じく藁ぶき屋根をトタンで覆ったものでしょう。
玄関の柱や板壁・建具が見事に「ベンガラ」。積雪地域での装飾と材木を守る工夫があります。
このベンガラは、私にとって思い出深いものです。子どもの頃 家が改築されて、柱と内廊下にベンガラが塗られ、その後の手入れに 袋に入れた糠で磨く仕事が私に与えられました。やるほどにベンガラが 落ち着いた深みを出してきたことが、子どもながら とてもうれしかった。(先年訪れた岡山・吹屋の家並も忘れられません。)
玄関右は「便所」でしょう。外からも使用するようになっていると思われます。
裏手(右)の高木は「柿」。渋柿で、干し柿を作るために植えられていたかも知れません。(甘味として好まれた。)

かつて人が生活していた。その土地に合わせた暮らしが、1枚の写真から想像できます。

Re: 文月 - e-kon(管理人)

2017/07/06 (Thu) 22:00:13

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

前回の写真ですが、おっしゃられるように玄関の右はトイレでした。柿の木は確認できていませんが、こういった山の集落では柿の木を大変多く見かけます。その他、以前うかがいましたシュロ(ソテツ?)なども大変よく見かける木々です。どれも生活に密着した、大切な植物なんですね。

また、ベンガラ色の光景も山の集落の定番の風景なのでしょう。写真の家屋は奥永源寺の山村のものです。これも塀がベンガラ色に塗られていますね。これらの風景が違和感を感じず受け入れられるのは、デザイン的効果などではなく、生活に必要なものとして生まれてきたものだからなのでしょう。だからこそ人が住まなくなっても、そこから生活が見えてくるのだと思います。

霊仙山、登りたかった... - 躑躅

2017/06/19 (Mon) 20:51:51

掲示板、くり返し訪問しているのですが、この2カ月 時間が止まったかのように動きがなく、寂しく思っています。

今日(6月19日)NHK・BS「にっぽん百名山」に霊仙山が登場しました。
撮影は5月上旬とのことで、今畑登山口までの芹川沿いの道にはシャガが、山上は(福寿草は終了)姫蓮華、ヤマシャクヤクなどの野草が花盛りでした。
今畑の廃村も、20年前まで人が生活していたと説明がついて、映像に入っていました。
山頂まで3時間半の道のりは、途中にはブナ林、カルスト地形の開けた空間(ワラビがたくさん採れそう)、そして頂上は360度のパノラマ。西に琵琶湖の全貌、北には白山の神々しい山並みが眺められました。

私が生まれ育ったところなので霊仙山の名前は知っていましたが、こんな素晴らしい山だとは、この番組を見るまで知りませんでした。
登山なら、子どもの頃は「伊吹山」、成人してからは「信州」しか考えなかった。
老いて足も悪く 登山など考えられなくなった今になって、登っておけば良かったと後悔しています。

Re: 霊仙山、登りたかった... - e-kon(管理人)

2017/06/21 (Wed) 01:48:20

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

慌ただしい日々の中、なかなかサイトの更新ができないまま9ヶ月が過ぎてしまいました。そうした中でも、こうして当サイトに訪れていただき大変感謝しております。

こちら、なかなかサイト更新の時間が取れていませんが、最低限の記録写真は残しておこうと、相変わらず機会をみては山村をウロウロしています。写真は、この春に今畑集落を訪れた時の福寿草の風景です。この日は絶好の登山日和。霊仙山登山の途中にこの今畑に立ち寄る方も多く、福寿草の群生の美しさに思わず声をあげる方もおられました。

霊仙山、本当に美しい山ですね。といっても下から眺めるばかりなのですが・・。BSで放映されていたとは知りませんでした。見逃してしまい残念です・・

山陰の旅 - kotaro

2017/04/14 (Fri) 03:55:22

3月は仕事場で負傷をしたり、今月は大きな行事で、3年前に亡くなられた人の、回顧写真展など、この所は忙しい日でした。
その間の4月1、2日に、鳥取と岡山の山間部を抜けて、久しぶりに小旅行をしてきました。
鳥取の鹿野から三朝の奥にある三徳山に抜ける峠には、こんな遅くでも今年は雪が残り、冬の厳しかったことを再認識します。
前日には姫路の奥地の山崎から、戸倉峠を越えました。
その途中では播磨一ノ宮の伊和神社と、波賀町の旧中心地の集落を歩いて、森林産業盛んな頃を偲びます。
40年前に、司馬遼太郎の「街道をゆく」因幡伯耆の旅を読んで、その辺りが出て来ることを思い出しました。
10年前には殷賑だった29号線も、鳥取自動車道が開通し、トラックの姿も消え、昭和50年頃に中国道が出来たばかりの頃に旅をした司馬遼太郎の文章も、過去の記憶になりつつあります。
それでも今回の旅は、味わい深かったです。
鹿野にいた亀井氏が、後に津和野に移り今に続きます。
100年や200年くらいの歴史は、スパンの長い営みの続いている山陰では、驚くものではありません。
私たち現代人は、あまりに性急すぎて目の前のことばかり考え過ぎではないか。峠から降りていく道沿いにある高い所の棚田には、雪融け水が注ぎ、私は深く春の到来に感銘いたしました。
こんな旅をまだ、続けたいものです。

Re: 山陰の旅 - e-kon(管理人)

2017/04/15 (Sat) 16:23:00

こんにちは、kotaroさま
書き込みいただき、ありがとうございます。

日々のご活躍ぶり、いつも拝見しております。添付いただいた写真を含め、春の色を感じさせていただきました。春は、1年の内でも一番「希望」を感じる時期でもあります。年度始めがこの時期に設定されているのも、そのためなのでしょうか。

そういえば、中国地方にはこれまで数えるほどしか訪れたことがありませんが、自分の中での中国地方の山間部は、なぜか「明るい山間部」というイメージがあります。日頃訪れるのが、滋賀や中部・北陸の雪深い山間部ばかりということもあり、そのように勝手にとらえているようです。それは、雪に閉ざされる地域とそうでない地域への、持つイメージの違いなのでしょう。写真は、日本最古の現役木造校舎だった「吹屋小学校」が廃校となった直後に訪れた時のものです。ちょうど5年前です。

>私たち現代人は、あまりに性急すぎて目の前のことばかり考え過ぎではないか。
>峠から降りていく道沿いにある高い所の棚田には、雪融け水が注ぎ、
>私は深く春の到来に感銘いたしました。
私もそのように感じます。
地球上に生きている生き物の中で、人間だけが本来進むべきスピードを大いに乱して生きているように感じます。その源となっているのが「便利になりたい」「富を得たい」「名声を得たい」「長く生きたい」・・等々の数々の「欲求(欲望)」でしょう。「欲求(欲望)」は大事にしたいものでありますが、何(どこ)に向かおうとするのかをしっかりと持っていないと、大変危険なように思います。

田舎を訪れた時によく「時間がゆっくりと流れているような・・」という表現が使われますが、人間本来の持つ生きるスピードにホッとする、そういうような感覚の表現なのかもしれません。

話題を変えて - kotaro

2017/03/11 (Sat) 13:23:00

今日は3.11。6年前は金曜日でした。土曜休みをもらって、体調が良くないので家にいます。
常磐線の列車が、勿来やいわきを通り仙台まで行っていたのが、不通になり、いつかは復旧するだろうと時刻表マニア的に思っていましたが、6年経ちますが見込みが立ちません。
社会現実にはいろんな状態が有り、亡くなった父や母に、第2次大戦下の生活について、子どもの頃以来よく聞かされていました。
戦争ではなくても、社会的に不都合なものは、遮断されるということを、この6年に知り、それ以前から、ここのサイトでは、意図的ではないにしろ奥地の忘れ去られた、生活のあった場所について、よくテーマにさせていただきました。

どう生きるのかということが、20世紀とは大きく変わってきたように思います。前世紀は何となくレールの上を走る選択があり、家庭と子育ても、不可抗力なく維持が出来たと思います。
重い気持ちにばかり、いつもなっているのではありませんが、時々話題を持ち出して、こんな書き込みにお付き合いいただき、まことに感謝しています。
写真は1978年、故郷の家からバイクで30分。福岡県豊津町にあった、豊前国分寺の風景です。早春の頃。

Re: 話題を変えて - e-kon(管理人)

2017/03/12 (Sun) 17:42:39

こんにちは、kotaro 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

添付いただきました早春の田園風景は、冬枯れ色の間から春の訪れを告げる様々な植物の新芽が顔をのぞかせる、その時期の風景なのですね。これから冬を迎える秋の枯れた色とはまた違った枯れた色、やがて雑草の緑に覆われるまでの、一年のうちで一番爽やかに彩られる季節の訪れを告げる頃なのでしょう。

先日、毎年の春の恒例行事といいますか、福寿草を見るために多賀町の山の集落「桃原」を訪れたのですが、この冬の雪がまだ多く残っていて見ることができませんでした。雪が完全に解ける頃には福寿草の開花時期は終わってしまっているのかもしれません。残念ですが自然相手のこと、仕方がないですね。写真は、その時のものです。

6年前の3/11、私もちょうど休みをもらって自宅にいました。あの時の、ゆっくりと円を描くような不気味な揺れは今もはっきりと覚えています。その後、ニュースで刻々と伝えられる被災の映像を見た時の衝撃は計り知れないものでした。
地震発生時の原発に関する事実の多くが、意図的に正しく伝えられていなかったという事実は本当に恐ろしいことです。何(誰)かの意図によって情報の操作がされ真実が伝えられない、このようなことはわが国だけではありませんが、人間が国を動かしている以上今後も起こり得ることなのでしょう。

それより何より自分の中で一番不思議なのは、原子力の恐ろしさを何よりも知るはずの我が国なのに、原発を肯定する政党が一番支持されていることです。原爆が投下された悲劇、原発事故の悲劇、これらの反省はいかされないのでしょうか。やはりその裏には、様々なことがからんでいるのでしょうね。

ブログ - kotaro

2017/03/04 (Sat) 03:58:58

こんにちは。
以前は二つのブログを、ほぼ毎日のように更新していました。
一つは日記用。もう一つは自動車に関する投稿です。
今は二つとも止めてしまいました。理由はそれぞれあります。
また外部要因にFacebookの利用も大きい。twitterはそれ以前から使っていましたが、たまに思いついた程度でした。
Facebookの便利さは恐ろしいくらいで、そのお陰で、世界中の自動車好きとワールドに付き合っています。が、ここから本論。
私も見直そうと思います。携帯やコンピュータ機器の発達、利用の仕方、これでいいのだろうか。
私は静かな閑居な雰囲気が好き。喋る時だけよく喋る。
コミュニティは溶け込めたり溶け込めなかったり。
人間は孤独を感じない程度に生きたいように生きられたらいいのでは。
たまに投稿する昔の写真。それに管理人様が感じてくれるくらいのお付き合いの方が、気が楽な気がいたします。

Re: ブログ - e-kon(管理人)

2017/03/04 (Sat) 20:44:45

こんばんは、kotaro 様

Facebookでのkotaroさまの幅広いジャンルの記事、内容が多岐にわたり読者も大変多く、とてもうまく運用されているなあといつも拝見させていただいていおります。添付いただいた写真、たしか以前に出品展示されていたものだったと記憶しています。

全く知らない、これまでだったら絶対につながりを持てることの無かった人たちとつながりをもてるネットの世界、功罪ともに計り知れないものがありますね。ネットでの関わりをいただいている方には感謝の部分が多く、功の部分を強く感じていることをとても幸せに思っています。でも今後どこまで便利さを求めるのかを考える時、ネットには恐ろしいものを感じたりもします。

人づきあいが悪く、無精者で偏固な私のような者にとっては、ネットは便利でおもしろいものではあるけれど、自分を晒してしまうような気がして、とても疲れてしまうものでもあります。アナログの世界を知っているだけに、ブレーキのかけどころなどが多少意識できているのかも知れませんが、Facebookはぼちぼち、LINEは必要最少限、twitterはとても無理、そんな感じです。Facebookを写真ブログの替わりなどに、なども考えたりもしますが、うまく活用できるにはまだまだ時間がかかりそうです。







Re: ブログ - kotaro

2017/03/08 (Wed) 05:36:20

こちらこそ、いつも丁寧な返信ありがとうございます。
私は弊害の方を見ていて、他人のことも気にします。
例えば、知性として池田信夫氏などは、以前は随分読んでいたのですが、ある時から、読むのを止めてしまいました。ケンカ上等的な、批判やダメの応酬を画面上でやられると、第三者は辟易とします。
特にレベルに問題がある時は落ちたなあと思います。
炎上現象について、時々考えたりもするのですが、関わったりせずに避けるより他はありません。

海外の人と友達になれるのは嬉しいです。でも誤解で傷つくなら、昔のような生活でも良い。
この辺り、慎重に生き、あれもこれもマルチな活動も、振り返れば何の意味があるのか。
私もだんだん歳を取ってきました。年齢と言説は、ひっくり返ったりはしませんが、徐々に収斂していくものかと、考えたりもします。
それでも昔の写真には、説得力があり、撮っておいて本当に良かったと思うことが多いです。

Re: ブログ - e-kon(管理人)

2017/03/10 (Fri) 23:20:52

twitterやブログは安易に書き込めるぶん、衝動的に感じたことなども、つい深く考えること無く人目に晒してしまうことになりがちです。また感情的な書き込みは、その人の人間性までもさらけ出すことにもなりかねません。テレビなどで目にして好感度の高かった人に対し、「なんだ、こんな人だったのか・・」などと失望するのも少なくないこと・・。

そういえば、最近はサイト記事を書いていても、ついついボヤいてしまっています。批判や文句などのことばを何度も見せられては、見る側は楽しいものではないでしょう。ずっと以前に「私も好きでボヤいているのではない。世間が私をボヤかせるんです」というボヤき漫才というのものがありました。けっこうファンだったのですが、批判をするにしても、心に残るようなおもしろさを持ってボヤきたいなど思っています。

なんだか、わけのわからない話になってしまいました・・

汗ふき峠 - たけ

2017/02/26 (Sun) 16:29:09

大変ご無沙汰しています。いつも興味深く拝見しています。
たまに一言の最後の写真は榑が畑から林道を西に進み三谷集落跡地を左に入ったところですね。シブラ部落跡地看板周辺だったように思います。なんでこんなに車が入らないところにカーブミラーがあるのかなあと思っていました。峠から落合部落に道があるはずなのですがすごいブッシュでしかも夏だったしヒルの攻撃にあって退散した苦い経験があります。

Re: 汗ふき峠 - e-kon(管理人)

2017/02/27 (Mon) 00:42:41

こんばんは、たけ 様
書き込みいただき、ありがとうございます。
ここのところ更新が滞ってしまっている、当サイトです・・

あそこになぜカーブミラーが?というのは私も不思議に思っていました。集落があったというのもずいぶん昔ですし、柾坂峠への道も車が頻繁に通るような道でもないですし・・。

この林道の終着点から柾坂峠までは、すぐの距離にあるようですので、機会を見つけてまた訪ねてみたいと思っています。

ツァーに登場しました - 躑躅

2017/02/23 (Thu) 10:08:33

タウシュベツ川橋梁・幌加駅・第五音更川橋梁が観光ツァーに登場しました。
今朝届いた阪急交通社のダイレクトメールを開けてびっくり! (費用を見てもびっくり) 5月下旬・6月中旬に計3回ツァーが組まれています。行きたいという人がいるのでしょうね。

2年前に、e-kon様をなぞって回った廃線めぐりが懐かしく思い出されます。そして、北海道の大地、まっすぐ続く道路を レンタカーで走った爽快感が忘れられません。

Re: ツァーに登場しました - e-kon(管理人)

2017/02/23 (Thu) 23:30:36

こんばんは、躑躅 様
書き込みいただき、ありがとうございます。

北海道の中でも「遠い所」というイメージの大雪山系の向こう(東)側ですが、自分の中では大変思い入れの強い所となっています。ツアーにもなっているんですね。そういった所に人が訪れて、少しでも地域が潤うのは嬉しいことです。北海道はアジアからの観光客が多いのですが、やはりこういう所こそ日本の人に見てほしい、など感じます。

静寂の中の幌加駅跡が好きで何度も訪れましたが、タウシュベツ川橋梁は季節が悪く、未だ見れずじまいです。傷みも激しく、いつまでその姿が保たれるのかも心配されているそうで、何とかみたいと思うものの、ここしばらくはそういう機会を作れそうもありません・・。いつかは、もう一度訪れたいと思っています。

長浜盆梅展 - 躑躅

2017/02/17 (Fri) 10:09:20

掲示板が冬眠に入り、寂しく思っていました。久しぶりに筆をとらせていただきます。
20数年ぶりに長浜盆梅展へ出かけました(毎年 にぎわっていると聞くので、ずっと避けて来ました)。

湖周道路を車で北上し、近江八幡運動公園辺りの水路に20人ほどの釣り人が釣り糸を垂れている風景を見て(この季節 何が釣れるのだろう?)、彦根・松原のクラブハリエでパンを買い(高い!うまい!)、長浜に到着。
盆梅展は、私のような年寄りが大勢来ていました(昨日年金が支給されたから、皆さん 気持ちも元気です)。樹齢250年の梅の古木が 窮屈な鉢に植えられ、見事な花を着けています。
出来上がったものを見ると「すごい!」の一言だけど、きっと裏方仕事がたいへんなのでしょう。

湖北に来ると、人の違いを感じます。郷土愛と、労力を惜しまない地域の人々の生活が知られます。
長浜盆梅展は、展示期間以外、鉢を預かり育てている人たちに支えられているのでしょう。花の後の枝を育て、夏の水やり・秋の剪定、数年ごとの植え替え・・・、たいへんな労力と思われます。
そんなことを考えながら、堅ボーロを買って次の目的地・あねがわ温泉へ向かいました。

あねがわ温泉は初めてだったが、内湯3、露天3(天然温泉、炭酸泉、鉱石泉、ジェットバス)と浴槽が多く、ゆったりした施設で、これで入浴料金が785円。
(駐車場の縁に積まれた、除雪した雪の 半端でない多さに驚きました。気候の南北格差を実感します。)

帰路は、長浜ICから高速を走りました。名神が空いていて瀬田東ICまで小1時間、年金生活者のプチ贅沢をしてきました。

蛇足です。
紅葉の季節に人気の鶏足寺、この管理も地域住民が行っておられるのでしょう。また、観音様のお寺も。
これらを観光資源にして、稼ごうとしないことが感服ものです。湖北の人たちの生き方に拍手です。
ところで、NHKよる7時のニュースの女子アナが虎姫高校の出身らしい。外に出て活躍する人もいます。

Re: 長浜盆梅展 - e-kon(管理人)

2017/02/18 (Sat) 02:33:11

こんばんは、躑躅 さま
書き込み頂き、ありがとうございます。

ご無沙汰しております。しばらく更新できずにおります本サイトですが、こうして足?を運んでいただき感謝いたします。最近は何かと慌ただしく、サイトの更新はもちろんですが、山里にも訪れられない日々が続いてしまっています。例年訪れていました芹谷の雪景色も見ることができず、今年は奥永源寺の山里の雪景色を見に訪れたのみという寂しい状況です。

また「たまに一言」のコーナーも、自らハードルを上げてしまったり、やたら文字数が増えてしまったりなどで、結果として更新が滞ることになっています。原点に戻って、山里への訪問記や感じたことなどのさりげない一言を!などと考えています。

盆梅展を見に行かれたんですね。若い頃は全くわかりませんでしたが、こういった盆栽などがアートとして外国の方にも評価されているということが何となく理解できるようになりました。作り上げられた世界観はもちろんですが、その背景を感じることで、見方がまた変わってくるようにも思えます。何百年と継がれてきたものにある深みを感じますね。

添付いただいた梅、すごいです。それまでの苦労を感じさせず、さりげなくこういったものを作り上げる普通の人たちもまたすごい!など感じます。

添付致しました写真は、奥永源寺の山里の雪景色です。平野部でも大変雪の多いこの冬ですが、鈴鹿の山奥には更なる別世界が広がっていました。

あけましておめでとうございます - 桑名の星の

2017/01/01 (Sun) 01:26:10

管理人様 あけましておめでとうございます

書き込みは久しぶりですがいつも楽しく拝見しています

お体に気を付けて今年も楽しい考えさせるレポート宜しくお願いします。

では、新年のご挨拶まで。

Re: あけましておめでとうございます - e-kon(管理人)

2017/01/01 (Sun) 11:13:06

桑名の星の さま
新年、明けましておめでとうございます。

新年のごあいさついただき、ありがとうございました。

急速に変わりつつある
私のホームグランドともいえる芹谷地域ですが
今年もいろいろな所をまわってみたいと思っています。

なかなか更新しないサイトですが、
よろしくお願いいたします。


写真は、大晦日に訪れた
芹谷の金次郎です

冬の玄(くら)さ - kotaro

2016/12/19 (Mon) 04:24:54

別の場所で見つかってしまい、とことん暗い私の心情を話すのも恥ずかしく、こちらにあまり来なくなっておりました。

写真と記憶は、30年経つと昔のことになります。
そういったネガだけで置いていた写真を少しずつスキャンして公開する。
生きているうちにやれることが、生きる苦痛に対する和らぎのように思えます。
鉄道のものも多く、これはあと数日で廃線になる、加古川の下流にあった別府の風景です。

Re: 冬の玄(くら)さ - e-kon(管理人)

2016/12/19 (Mon) 18:02:06

こんばんは、kotaro様

あちらでは突然押しかけてしまい。失礼いたしました。
発信されている内容に共感しながら、いつも拝見させていただいております。

写真に写っているのは貨車でしょうか。そういえば貨物列車も昔と今とではずいぶんと変わりましたね。屋根の無いむき出しの貨車に積まれた石炭?や、窓から見える牛、いろいろなものが運ばれているのがわかり、おもしろく感じたものです。子どもの頃に、なかなか上がらない踏切を通過する、長い長い貨物列車を見るのを楽しみにしていたのも懐かしい思い出です。

今は写真のみならず動画までもが、お気楽に扱えるようになっていますが、その大半がどうでもいい情報ばかりです。写真が気楽でなかった時代のこれらの記録は、本当に貴重なものです。これからも楽しみにしております。

小原かご - お

2016/10/17 (Mon) 15:22:45

管理人さん、こんにちは。

今日の読売新聞の滋賀版に、小原かごのただ一人の作り手として、太々野功さんが紹介されていました。
余呉町中之郷のウッディパル余呉の工房でかごつくりの講座を8年間開いておられるようで、毎年定員に達する人気だそうです。

Re: 小原かご - e-kon(管理人)

2016/10/18 (Tue) 04:27:49

おはようございます、お 様。

そうだったんですか、太々野功さんのことが紹介されていたんですね。私のところは読売新聞ではないので見ることはできないのですが、こうして地域の伝統が取り上げられるのは本当に嬉しいことです。いくつもの壁はあるようですが、なんとか後継者が育つといいのですね。

この講習、ぜひ受けてみたいと調べたことがあります。募集時期が決まっておりその時はダメだったのですが・・。

貴重な情報、ありがとうございました。

彦根道のこと シマサコサイクル

2016/09/23 (Fri) 19:20:01

ご無沙汰しております。
彦根道 大変興味深くよまさせて頂きました。
芹谷、 霊仙の山村方面は何度も自転車で行けるところまではいっております。霊山三蔵の伝説(史実?)、六角氏の時代、木地師伝説等々を調べれば調べるほど興味がわいていきます。彦根藩時代の石高の記録もあるようです。車がない時代は、山村間のいききは谷へおりるわけではなかったようなので その道もなっとくできます。まだまだ興味がつきませんが これくらいで失礼します。 それと、絶妙なカメラワークにいつも感心しきりです。 では・・・また。

Re: 彦根道のこと - e-kon(管理人)

2016/09/24 (Sat) 07:07:24

おはようございます、シマサコサイクル様
書き込みいただき、ありがとうございます。

霊仙周辺は大変歴史のある所で、未だわかっていない部分も多いようですね。それだけに魅力を感じます。周辺集落に、もっと木地師関係の伝承など残っていてもいいと思うのですが、それも歴史の中に埋もれてしまったのか、限られたものしか見ることができません。

おっしゃられるように、昔の集落の行き来は、谷に下りることなく集落どうしを結ぶ山道が利用されていたようです。車などがない時代だったことを思うと、その方が近いし、早かったんですね。今ある道が昔もあったという見方を壊さないと、見えてこない部分なのだと思います。興味は尽きませんね。

今も自転車で各地をまわられているんですね。車とは違って多くのものが見えてくることと思います。行き着いた先より、そこに行くまでの道中に大切なものがある、など最近感じています。そういう場合、自転車での散策は大変効果的なのでしょうね。

今回のお話の舞台 - お

2016/09/14 (Wed) 20:24:13

管理人さん、こんばんは。

だいぶ前の話ですが、初めて榑ヶ畑方面に出かけたとき、榑ヶ畑には徒歩でしか行けないことを知らずに車で奥まで入ったときに、シブラ・板ノ原村落跡に出会いました。
登山をする同僚と榑ヶ畑の話をしてもかみ合わず、しばらく疑問に思っていたころに、自分の足で榑ヶ畑を確かめることが出来ました。
すると、シブラ・板ノ原村落跡のところで廃道状態になった道は、その少し先にありそうな峠を越えていたのか気になったのですが、そのまま自分の中で放置していました。
今回の彦根道のお話で、ひとつスッキリさせていただくことが出来ました。
どうもありがとうございました。

Re: 今回のお話の舞台 - e-kon(管理人)

2016/09/15 (Thu) 07:54:24

おはようございます、お様
いつもご覧いただき、ありがとうございます。

お様も、行かれていたんですね。あの村落跡からは、距離はあと少しで峠のようです。峠の名称は「柾板(まさいた)峠」というようで、この名は榑ヶ畑の小字名から来ているようです。今回は蛭攻撃に遭ったので止めましたが、季節のいい時に一度峠まで行ってみたいと思っています。

霊仙地区の集落が、河内よりこういった彦根、米原の山の集落と交流が深かったのも地図で見ると納得ですが、実際に現地に行くと先入観のせいか、なかなか見えて来ないものです。先入観を棄てて物ごとを見ないと、なども今回感じました。


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